中江兆民の「三酔人経綸問答」を初めて読んだ

三酔人経綸問答

 桑原武夫・島田虔次による現代語訳だが、中江兆民の「三酔人経綸問答 (岩波文庫)」(1887年)を初めて読んだ。
 この「三酔人」とは、本書に登場する「洋学紳士」と「豪傑君」、「南海先生」の三人のことで、彼らが酒を飲みながら問答をする中で日本のあり様があぶりされていく形式になっている。「現在の日本は、平和、自由、防衛、進歩・保守、民権・国権などあらゆる重要問題において、なお『三酔人経綸問答』の示した枠内にあるといって過言ではない」と、1965年に桑原武夫が解説しているが、それは今日なおあてはまると言えるだろう。
 この三人の議論で、誰が兆民の思想を代弁しているかといえば、桑原武夫は「三人がそれぞれ兆民の分身だと考えるのが適当だと思っている」「兆民のなかにはこの三人が住んでいた」と解釈している。


 私なりに読んでみて印象に残ったことは、フランス留学の長かった兆民らしく、「自由、平等、博愛」の三大原理や、私有の権利、広く理性の承認など、市民革命期の思想の影響がみてとれることである。
 市民革命の思想は、封建社会の人間観の否定という意味で、対等・平等の人間観を打ち出し、その意味で進歩的であったといえるだろう。兆民は、ヨーロッパ人・アジア人、「インド、シナ、琉球」等、人間として区別がないことを主張している。まさに、人民主権、民族主権の擁護である。

 中江兆民の「三酔人経綸問答」で興味深いのは、「平和論」である。
 兆民によれば、民主制は平和のための不可欠の条件というサン-ピエール(1658-1743)の論は、当時空理空論と嘲り笑われたが、ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)はサン・ピエールを擁護した*1という。ドイツのカントもサン・ピエールの平和論を受け継ぎ、「永久平和論」を書いたと。戦争を好むのは、帝王や将軍、宰相といった人々で、人民は戦争で得るものはなく、傷つくばかりだと。カントは、「すべての国が戦争をやめ、平和を盛んにするという好結果を得ようと思うなら、諸国がみな民主制をとるのでなければ不可能である」と言っていると紹介している*2

 冒頭で、「三酔人経綸問答」がいまなお今日的であるというようなことを書いたが、それは以下の問題提起もそのひとつであろう。

 豪傑君が次のように言う。

 それなら、もしどこか狂暴な国が、われわれが軍備を撤廃したのにつけ込んで出兵し、襲撃してきたらどうします。


 これに対して、洋学紳士は抵抗権すら否定・消極的で、豪傑君から笑われるが、南海先生は抵抗権を否定しない。

 豪傑君は、日本が小国から大国になったうえで、文明の成果を買い取り、西洋諸国との競争にうって出て、そのうえで、「改革計画を妨げる昔なつかしの元素は、すっかり切り取ってしま」い、日本内部の改革をとげるのだと主張する。

 実際、どのように平和を実現したらよいのだろうか。難問であることに違いはない。

 また兆民は、モンテスキューやスチュアート・ミルを引き合いに出しながら、「制度というものは民度の高い低いにちょうど見合ったものでなければならぬ」と政治のあり方について述べているが、南海先生の紳士君への次の批判は興味深い。

 紳士君は、もっぱら民主制度を主張されるが、どうもまだ、政治の本質というものをよくつかんでいない点があるように思われます。政治の本質とはなにか。国民の意向にしたがい、国民の知的水準にちょうど見あいつつ、平穏な楽しみを維持させ、福祉の利益を得させることです。もし国民の意向になかなかしたがわず、その知的水準に見あわない制度を採用するならば、平穏な楽しみ、福祉の利益は、どうして獲得することができましょう。(中略)紳士君の言う進化の理法によって考えてみても、専制から立憲制になり、立憲制から民主制になる、これがまさに政治社会の進行の順序です。専制から一挙に民主制に入るなどというのは、けっして順序ではありません。なぜかと言えば、人々の頭のなかには、まだ帝王思想とか公爵伯爵的イメージが、その奥底につよく刻印されていて、眼にこそ見えないが、まるでその人のご本尊様かお守り札のようになっているとき、にわかに民主制をはじめるならば、大衆の頭はすっかり混乱させられてしまう。これはまさに心理的法則なのであります。そのばあい、たった二、三人の連中だけが、ひとり悦に入って、民主主義は道義にかなっている、などと喜んでみても、大衆があわてとまどい、わきかえるのを、どうしようもない。これはわかりきった理屈です。

 紳士君、思想は種子です。脳髄は畑です。あなたがほんとに民主思想が好きなら、口でしゃべり、本に書いて、その種子を人々の脳髄のなかにまいておきなさい。そうすればなん百年か後には、国じゅうに、さわさわと生え茂るようになるかも知れないのです。今日、人々の脳髄のなかに、帝王、貴族の草花が根をはびこらせているまっ最中、ただあなたの脳髄にだけ一つぶの民主の種子が発芽したからとて、それによってさっそく民主の豊かな収穫を得ようなどというのは、心得ちがいではありませんか。

 「三酔人経綸問答」は、平和論のみならず、政治論としても興味深い古典である。
 

*1:ジャンジャックルソーが書いた「サン-ピエールの永遠平和論の抜萃と批判」(1761年)と、その題名にあるように、実際は建設的な批判をしつつ擁護したというのがより正しいのだろう。後述の芝田進午「核時代の平和思想」を参照のこと。

*2:哲学者・故芝田進午氏は、「サン-ピエール、ルソーの平和論を念頭におきながら、画期的な平和論を提出したのは、哲学者・I・カント(1724-1804)であった」として、カントの「永遠平和のために」(1795年)には、「あたかも今日のために書かれたのではないかと思われるほど、すぐれた先駆的な平和の思想が展開されている」と、論文「核時代の平和思想」(1984年)で述べている。