戦時中の日本人作家の日記

amamu2012-10-22

 今日の朝日新聞に、日本文学者のドナルド・キーンさんの談話が載っていた。
 戦中に日本の作家がつづった日記を研究した「日本人の戦争」に触れて、以下の箇所が私の眼をひいた。


 忘れられないのは、フランス文学者の渡辺一夫です。彼はこう書いていました。『もし竹槍を取ることを強制されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし決してアメリカ人は殺さぬ。進んで捕虜になろう』。こういう発言をした人はほかにいません。同じ出来事にどう反応したのか。彼らの日記は実に興味深いものでした。


 最近、フランス文学者の渡辺一夫さんの書いたものを読み始め、「ユマニスム」のことを少しだけかじり始めた私にとって、渡辺一夫さんは気になる存在になっている。大江健三郎さんは、渡辺一夫さんの”若い友人”にあたるのだそうだが、大江健三郎も全く読んでいないのだから、私には渡辺一夫さんを語る資格など全くない。
 だけれども、渡辺一夫さんが、戦時中に「進んで捕虜になろう」と日記に書いたとすれば、それは大変なことであるということは、戦後世代の私でも少しは想像できる。
  「戦時中の考えを後世の価値観で見ることは作家には不本意かもしれない」と、記事は触れているが、時代の制約から少数意見だったとしても、それが後世の大多数の支持をえる考え方や思想になることも少なくない。
 以下は、ドナルド・キーンさんが語っている記事と全く離れるが、時代の制約を乗り越え、勇気をもって普遍的な価値観を主張した知識人や無辜の人々を正当に評価し、称賛することが大切であるように思うのだ。
 アメリカ合州国で、250年前に、人種差別を訴えたら、それは「非常識」な少数意見に過ぎなかっただろうが、いまはどうか。自由民権運動以前に、平等を訴え、人権擁護を支持すれば、それは「非常識」な少数意見に過ぎなかっただろうが、いまはどうか。女性の権利擁護も、先住民族に対する権利擁護も、「非常識」が「常識」になった例ということになろう。もちろん、どれだけ具体化されているか、実現されているかという課題はいまだ残っているけれど、言説としてより多数派となり発言しやすくなった時代状況はあるということだ。
 ドナルド・キーンさんは、山田風太郎に触れながら、「読んだ本によって、人間は形成されると私は思っていました。しかし、戦時中に山田風太郎が書いていた日記を読み、私の考えは違うとわかりました」と書いている。「同じ時期に同じような本を読んでいたのに、彼はいつまでも戦争を続けるべきだと書いていました。『断じて屈するなかれ』と。しかし私は戦争が嫌いでした。終わったときはうれしかった」とドナルド・キーンさんは吐露されている。ドナルド・キーンさんは、山田風太郎について、攻撃的に批判しているわけではないし、この違いを追求しているわけでもない。ドナルド・キーンさんは、日本国籍を取得し、「日本人とともに生きたい」と考える、温和な日本文学者であるのだろう。
 けれども、この違いは一体全体何なのか。
 大変興味深い問題として、考えざるをえない問題ではないのか。


 渡辺一夫さんの、「殺さぬ。進んで捕虜になろう」というのは、「不寛容」「暴力」「戦争」に対する、「寛容」「平和主義」「非暴力」「平和主義」なのだろうか。おそらくそうなのだろうが、私にはよくわからない。
 よくはわからないが、おそらく、渡辺一夫さんの「ユマニスム」研究と関連があるのではあるまいか。
 フランス文学者として、読んできた、そして格闘してきた思想と関連する気がしてならない。渡辺一夫氏のものをほとんど読んでいない浅学の私には結局わからない問題なのではあるけれど。