今回の桜宮高校(大阪市)の自殺事故は、大変痛ましい事故で、一教師として他人事とは思えない。
スポーツや野球について私は全くの門外漢。
何か発言することのリスクは十分承知をしている。
また桑田真澄選手のことも全く知らない。
しかしながら、今回の大阪市の桜宮高校のバスケットボール部主将の自殺の事故では、元巨人の桑田真澄さんのコメントは、涙なしに読むことは私はできなかった。
この体罰事故に関する桑田真澄さんのコメントに真剣に学ばなければいけないと思う。
PL学園の甲子園球児ヒーローというイメージもあり、私は、桑田選手を、もしかしたら厳しい指導(体罰)容認の選手と勝手に思っていた。
知り合いの野球通に聞くと、桑田選手は「変人」という。何が変人なのか、それ自身が議論すべき問題だが、変人大いに結構ではないか。
今回の桑田真澄さんのコメントを読んで、私は感銘を受けた。
思うに、暴力か愛情ある体罰かの問題ではなく、体罰は暴力であり、人権侵害・人権蹂躙か否かの問題であると思う。
おそらく体罰をした教師も後悔しているのではないか。
その意味で、生徒はもちろんのこと、教師を守るためにも、体罰・暴力・人権侵害・人権蹂躙は、おこなってはならない。良かれと思ったとしても、それは勘違いであって、教育とは似て全く異なるもの。教育にとって、それはまさに禁じ手なのだ。
以下、要約であるし、長い引用になるが、引用する。
私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。
早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。
体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。
ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。
私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。
「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
体罰に苦しんでいる子どもたちのことを思い、「指導者」と呼ばれる者たちの勉強不足と力量不足を思うと、誠実で勇気ある発言を涙なしに読むことはできない。