「原点は元戦犯との出会い 安保法制反対、声上げる大学生」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2015年7月13日16時30分)から。

 国会前で毎週金曜日の夜、学生たちが安保関連法案への抗議の声を上げている。若者たちの異議申し立てに共感の輪が広がる。その中心メンバーの活動の原点には、高校生時代の元BC級戦犯との出会いがあった。

 国会前や渋谷で数千人規模のデモを仕掛ける学生団体「SEALDs」のメンバーで、明治学院大4年の奥田愛基(あき)さん(23)。2010年2月、島根県にある小さな全寮制「キリスト教愛真高校」の2年生の時だった。

 平和学習の授業に横浜から飯田進さん(92)がやってきた。ニューギニア戦線で住民らを殺害した罪に問われた元BC級戦犯だった。


 ■「無益な人殺し」声を震わせ証言

 全校生徒50人を前に飯田さんが話し始めた。

 「自分をもう一度『被告席』に置くつもりで来た」。絞り出すような声で「私は無益な人殺しをしたと言わざるを得ない」と続け、体験を語った。

 当時10代後半だった飯田さんは、あの戦争を「アジアを欧米の支配から解放する大義ある戦い」と信じていた。志願してニューギニアへ。戦況は悪化。補給を絶たれた飢餓の島で多くの日本兵が命を落とすなか、仲間を殺した疑いのある現地住民の処刑に立ち会った。新兵に急所を外されて苦しむ男性を、自ら日本刀を抜いて絶命させた。

 戦後、連合国による戦犯裁判で死刑を求刑された。判決は重労働20年。スガモプリズンに収監された時期を含め服役は計10年間に及んだ。

 飯田さんは言った。

 「人を斬ったことを後悔しているかと問われたらその通り。だが、半分は、ああいう戦況下ではやむを得なかったと思う」。そして、「正義の戦争はあり得ない」と力を込めた。

 その声が震えていたのを奥田さんは覚えている。

 〈なぜ、このおじいさんはわざわざこんな話をしに島根まで来たのか〉〈加害者なのか? 被害者なのか?〉

 奥田さんは混乱しながらも、授業中に飯田さんが繰り返した一文を胸に刻んだ。「明日世界が滅びるとしても、私はリンゴの木を植え続ける」。どんなに絶望的な状況でも希望を失わずに行動せよ、というメッセージと受け止めた。

 人は誰も心に何かしらの傷を抱えていても、それを口にしない。「痛み」をわかってもらえると思わないからだ。自分だってそう。でも飯田さんの震える声に同じ「痛み」を感じた。

 「いまもなお自分が体験した『理不尽さ』と向き合い、命を削るように語り続けている。この人の前では誠実でありたいと思った」と奥田さんは振り返る。

 2カ月後、高校に分厚い封書が届いた。飯田さんから生徒たちへの手紙で、A4判37ページ。生徒の感想文を引用し、「『難しくてよくわからなかった』という声も含めて、真正面から私の話を受け止め、理解しようとしてくれた。涙を抑えられなかった」と感謝がつづられていた。


 ■反戦訴える言葉、今の自分に続く

 それから5年がたった。今年4月、奥田さんは高校時代の仲間数人と、横浜の古い団地を訪ねた。

 昨年末に飯田さんが出版した著書「たとえ明日世界が滅びるとしても」(梨の木舎)の1章分にあの手紙が収められたことを知ったからだ。

 飯田さんは出版直後に脳梗塞(こうそく)を起こし、もう一人で立てず、ろれつも回らない。それでも5年ぶりの再会に涙を流し、日本を憂い、戦争が続く世界情勢を嘆いた。

 かつて授業で、戦争で人命を奪った過去を明かし、「二度と繰り返すな」と訴えた飯田さん。その言葉が今の自分につながっていると改めて感じた。

 奥田さんは10日も国会前でマイクを握った。安保関連法案は近く、衆議院で委員会採決されるという見通しが伝えられる。

 「飯田さんは高校生だった僕らに、伝わるか伝わらないかとは関係なく、理屈を越えて『戦争をしてはいけない』と言いに来た。だから僕も声を上げ続ける」

 (高橋美佐子)