フランス文学者・渡辺一夫の本はあまり読んだことがなかったが、ヒューマニズム考―人間であること (1973年) (講談社現代新書)、狂気について―渡辺一夫評論選 (岩波文庫)、痴愚神礼讃 (中公クラシックス)など、興味深く読んだ本もある。
戦後、日本の作家たちの敗戦日記について研究したドナルド・キーンが、「もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし決してアメリカ人は殺さぬ。進んで捕虜になろう」と書いた渡辺一夫の日記を興味深く紹介していた。これは又聞きにすぎないが、その渡辺一夫 敗戦日記も前に入手していたものの、斜め読みくらいしかしていなかった。
敗戦までに渡辺が書き記したノートでいえば、眼をひく記述があちこちにある。たとえば、次の東京大空襲のあとの記述。
東京大空襲は、「正確には十日午前0時八分から約二時間半のB29三百二十五機による無差別焼夷弾爆撃。これによって、当時の東京三十五区のうち二十六区が大被害を受け、死者八万以上、負傷者四万以上、住居を失った者百万に及んだ*1」のであって、「三月十日」だが、渡辺は「三月九日」と記している。
三月九日の夜間爆撃によって、懐しきわが「本郷」界隈は壊滅した。思い出も夢も、すべては無惨に粉砕された。試練につぐ試練を耐えぬかねばならぬ。
また、渡辺一夫自身、自分を「知識人」だと認識しているわけではないが、次の記述。
三月十五日
(前略)
知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。
また、当時のメディア状況。
七月六日 金曜日
どの新聞を見ても、戦争終結を望む声一つだになし。
(中略)
皆が平和を望んでいる。そのくせ皆が戦争、戦いが嫌さに戦っている。すなわち誰も己の意思を表明できずにいる。
(後略)
まだ途中までしか読んでいないので、読了したい。