'Jackie Robinson I Never Had It Made'を読んだ(4)

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    I Never Had It Made

 以下、'Jackie Robinson I Never Had It Made'から。

    日本人プレーヤーでは村上雅則投手・野茂英雄投手のみならず、のちにアジアにまで広げられることになるMLB選手だが、この頃は、アジアはまだ対象外だったのだろう。

 

 黒人差別に批判的だったブランチ・リッキーは、そう考える自分は道徳的に正しいし、実際に黒人選手をMLBに引き入れて黒人観客を巻き込むことが可能となれば、野球が全国民的になるということになり、それは経営的にも健全な結果をもたらすと確信していた。

 黒人選手の獲得についてはドジャーズ内で説得工作をしながら、実際にブランチ・リッキーの「気高い実験」のために、ふさわしい黒人選手を探していた。スカウトはアメリカ合州国を越え、キューバ・メキシコ・プエルトリコベネズエラ、その他の国の規模で探すこととなった。

 黒人選手探しは、カモフラージュが必要で、ブランチ・リッキーは、新しい二グロリーグを設立するためと世間に信じ込ませていた。

 1945年春、ドジャーズは、すべて黒人から編成される合州国リーグを新たにつくると記者会見で発表する。もちろんこれは、人種的に混ざり合った野球を望む白人や黒人を憤慨させることとなった。現状の人種隔離を支持し黒人選手につけこむものだとブランチ・リッキーは非難されるが、新しくつくるリーグは現状よりもいい形で組織し、その主目的は、徐々にMLBに吸収する予定だとブランチ・リッキーは切り返した。本音を明かすことに近いかたちで、人種混合の野球計画を敵に覆い隠すことができたことは皮肉だった。人種混合という将来の遠い目標をブランチ・リッキーが語ることは、かつて多くの野球指導者がそうであったように、彼もまたこの人種問題に関する偽善者だと多くの人々は推測した。

 黒人選手はこの手のだましに慣れている。これはブランチ・リッキーに会う前の話だが、Monarchs時代のジャッキー・ロビンソンは、二グロ・リーグの別の二人の選手とともに、ボストン・レッド・ソックスのテスト生を受けたことがあった。けれども、このテストは黒人選手を雇わないボストン・レッド・ソックスに対する政治的圧力から実施したことであって、黒人選手の獲得について、ボストン・レッド・ソックスは全く真剣ではなかったのだ。

 

 1945年8月、ドジャーズのスカウトマンは、ロビンソンに接近しジャッキー・ロビンソンはいよいよブランチ・リッキーに会うことになる。