「本多勝一対談集」(1973)を購入した

本多勝一対談集(1973)

 朝日新聞本多勝一記者の対談集。

 ためになる話がたくさんあった。

 小田実氏との対談「わがベトナム体験の総決算」の「保守化するインテリ」のところでは…。

本多 一般にインテリがなぜ保守化するかという問題に通ずるね。江藤淳とか石原慎太郎とか、はじめはかなりいわゆる進歩的なわけですよ。それがどんどん保守化していく。それと共通する面があると思う。それは基本的に武士階級と同じだからだと思うんだ。武士というのは刀の専門家ですよ。刀という道具自体は中立性です。鉄砲は開放戦線も使うし米軍も使う。要するに道具だからね。しかし、それを使う専門家である武士は、殿様からみれば大変有用な価値があるから、それだけの優遇をずっと与えてきた。それと同じ意味で、インテリというのは知識という刀を使う専門家ですよ。知識があるのはつねに有利ですよ。いまの体制では。非常に住み心地がいい。だからどうしても堕落する。かれらは利口だから、もしおれがこういう立場をとればこの住み心地のよい生活ができなくなるぞ、ということは知ってるわけよ。で、いったんちょっと一角がくずれたら、ダーッと崩壊していく。

小田 一〇ねんぐらい前までは、文学者というのは体制ではないにしても、非体制というので意志一致してたと思うんですよ。

本多 アンチではない。

小田 アンチもいたけど。まず、「非」だな。安保闘争なんかあったころは、日本文芸家協会が声明出すとかしてた。それが、この一、二年ぐらいのあいだにもものすごく急速に変ってると思う。私自身は『l何でも見てやろう』がベストセラーになって、そのころはテレビやラジオでひっぱりだこだった。教養番組のスターだよ。教養番組というのは、左翼から一人、右翼から一人、どっちでもないやつと、三人でしゃべる。そのころ驚いたことに、わがはいはどこへ位していたかというと、右翼だよ(笑い)。しばらくしたら、私は左翼ということになっていた。ぼくより左翼の人はみんな落ちたわけよ。さらにしばらくすると、全然こなくなったな。それは脱走兵援助を始めたころ。そのころを契機として変ってきますよね。私自身は基本的には全然変ったと思わない。社会の動きが変ってきたんだ。いちばんはじめに「ベトナムに平和を」とぼくらが言いだしたときには、中曽根康弘も、宮沢喜一も、愛知揆一も、みんないうとったね、「ベトナムに平和を」と。総理大臣官邸に愛知揆一を訪ねたら、ちゃんと会うたよ。そして、「私もベトナム平和を願ってます」というたね。そのうちにガラガラガラガラと変ってしまって、アッというまにかれらはベトナム平和ということをいわなくなった。(後略)

(p.47-p.49)

 木島始高橋徹・橋本福夫・安岡章太郎本多勝一・大橋健三郎(司会)各氏による「黒人の文学について」では…。

本多 (前略)…ハーレムや南部を主に見て、別に西部のインディアンを詳しく見まして感じたことは、アメリカ合州国のなかに、まったく別の独立国みたいな世界があるということです。アメリカのなかに、白人とか、黒人とか、あるいはほかのいろんな人種が、ルツボみたいにごたまぜに生活しているというんじゃなくて、ほとんど国境がある国みたいに、違った世界がある。それは、普通の観光的な旅行をしてたんでは、なかなかわからないんですけれども、黒人といっしょになって旅行なり生活なりすると、非常によくわかるんです。それでそういうあたかも独立国みたいな世界にはいってしまうと、今度はそこにいる人々にとっての合州国という国のおそろしさも、恐怖にさらされている毎日というものも、たいへん具体的によく理解することができて、その結果というのは、それまで私はごく平均的日本人の合州国に対する知識しかなかったんですが、そういうごく平均的な知識から見た合州国のイメージと、あまりにもかけ離れたものがありまして、それが非常にショックでした。そういう実情がわかってみると、黒人暴動だとか、黒人のいわゆる表面的な意味では悪い面が、強く一般に報道されたりしていますけれども、しかしそれは、もうほとんど当然みたいなもので、ボクシングでいうと、カウンターブロウみたいなもので、よくいままで我慢しておったという、むしろ逆みたいな感じがするくらいに、衝撃は強い。だから、黒人に接したことによるショックというよりも、接したことによって、それを通じて見えてきた合州国というものが、たいへんショックだったという感じです。(p.70-P.71)

 「私はたいして小説は読んでないけれども、私がいちばん単純な意味で感動を受けたのは、マルコムXの自伝」という本多氏の「フィクション、ノンフィクションを含めて、つまり広い意味での黒人文学で、いままで読まれたなかでいちばん強い感銘を受けたのは、なんですか」という質問に対して、安岡氏は「『ブラック・ボーイ』ですね。…ただリチャード・ライトの最大傑作かというと、そうとは言えないし。…ちょっとひと口には言えない」と言っている。高橋氏は、「やはりエリスンの『見えない人間』」。等々。

 小和田次郎氏との対談「報道と取材の自由について」では、「『ニューヨーク・タイムズ』の正体」のところで…。

 「ペンタゴン・ペーパーズ」については、本書の注釈に「北爆開始の動機となったいわゆる「トンキン湾事件」をはじめ、ベトナム戦争ででっち上げに関する合州国国防総省の被何時報告文書を一九七一年六月『ニューヨーク・タイムズ』が全文暴露した特ダネ事件。侵略のためには合州国がどんなネツ造やデッチ上げも辞さぬことを世界にさらけ出した」と書かれている。

本多 …じゃあ『ニューヨーク・タイムズ』が「非常にいい」とはどういうことか。確かにいいところがありますよ、それは。日本の新聞は、「ペンタゴン・ペーパーズ」の暴露のときには一斉にほめたけれども、そんなにいいのかというと、これもまた図式的にいえば、合州国の独占企業なんていうのはものすごいでかいものだから、ちょっとぐらい批判したところでひっくり返るようなものじゃない。だから許容範囲の問題ですね。批判の許容範囲が非常にでかい。したがってそのでかさに応じた批判が新聞に可能である。いくら『ニューヨーク・タイムズ』だって、合州国の資本主義がひっくり返るような批判は絶対にやらない。許容の範囲内で一生懸命やってる。ところが日本の資本主義はまだそんなに許容範囲がないものだから、批判の幅もちょっと狭まってくる。韓国でいうともっと幅がないものだから、「もっと新聞は弾圧される度合いが大きくて、したがって批判の幅も非常に狭い…と、まあこういう図式があるんじゃないか。(後略)

(p.252-p.253)

小和田 そうそう、左の連中の中にはそういう期待をもち、そういう認識をした人たちがいたように思う。これは基本的に誤ったことですね。間違いなく体制内新聞であり、あなたの言うように許容範囲の広い、そういう社会的、歴史的な言論の許容範囲をつくっているアメリカの民主主義の幅の広さみたいなものがある中でのあの暴露報道は行なわれた。そういう米国社会は、少なくともそういう許容範囲の狭い社会に比べて、より民主的であることは事実だと思う。(略)しかし、あなたのいうように、ニクソンにとって決してマイナスにならない「ペンタゴン・ペーパーズ」暴露だったことも相当明らかなことですね。(後略)

(p.254-p.255)

 「社会主義国での取材の不自由」もたいへん面白くためになった。ジャーナリズムにおけるジャーナリストの取材は、やはり、自由な取材をさせないとダメですね。「戦う国ほど自由だ」「帰納的報道と演繹的報道」というのも面白くためになった。