日本語の表現の流れと英語の表現の流れは異なる

 最近は、英語のロジックのことばかり考えている。
 斬れる英語とは、発音のよい英語のことではないとつくづく思う。発音であれば、私の発音は南米の人達に負けない。Spanishや Portugueseの訛りは、英語に近い語彙があるので、かえって大変のようだ。ドイツ人はもちろん英語的雰囲気をもっている。フランス人も、まぁそうだ。
 言語的にも文化的にも、日本人が一番遠い気がする。さらに、英語教育の問題も、かなりある。
 英語のロジックの前で立ち往生している今日この頃だ。

 接続詞のbut, although, nevertheless, in that, that is, in factなど、日本語に置き換えても役に立たない。日本語の流れ、日本語の論理が相手ではなく、相手は英語の流れ、英語の論理である。作文を書いても、当たり前だが、赤ペンで直される。日本語の論理の流れで書くと、何が言いたいのかわからないと先生のコメントが書かれ、討論になる。結論は、私が英語の論理を無視して、書いたり、話したりしているので、相手をいたずらに混乱させるばかりだということがわかった。英語のロジックを意識して使えば、コミュニケートできる。作文も、statement(結論の叙述)、proof(証明)と分けて、organize(構築)すると、よく理解してもらえる。風の流れるまま、気の向くままという日本的エッセイが一番ダメである。これは日本語が論理的ではないということではない。日本語には日本語の論理があるわけだし、そもそも論理というものは、共通のものであり、ある意味、普遍的なものだろう。でなければ、それは論理とは呼べない。ただ、表面的・表層的な表現の問題、表現の流れとしては、日本語で考えて翻訳しても、それでは西洋には通じないということなのだろう。
 この前書いた作文も、討論の結果、以下のように整理された。
(1)日本では英語教育が盛んである (2)その理由は政治的理由 (3)アメリカ文化も多く流れ込んでいる(ここまでがintroduction)
 なのに、why?英語をマスターできぬのか(問題提起)
 理由1)英語と日本語とではかなり違う(イ.音韻的 ロ.文法的 ハ.文化的) 
 理由2)英語を学ぶ目的はcommunicationではなく受験(イ.受験の目的は真面目度テスト? ロ.受験勉強はmistakesを極端に恐れる青年をつくる) 
 理由3)私たちは常に日本文化の中にいて、異文化との対決を恐れる
 topicを発展(develop)させるテクニックは、readingの際の技術ともなりますが、それを習熟していない弱さである。
 日本の高校・大学も、もっと文章の書き方などを教えるべきだとこの頃考える。
 いま、難民問題の記事を読んでいるが、Noを嫌うAsia人ということなのか。Japanese smile、Yes-Noをはっきり言わない私たちがただ笑っているだけではcommunicateできないのだ。