人間を磨かなければならない

 クレイジーな想像だが、ニコラを見ていると自分の将来の息子を想像してしまう。
 自分は性教育は受けなかったので、自分でも勉強し直して、自分の息子・娘には大学に入る頃、いろいろなものを与えたいと思う。
 子どもがしっかりするには、まず親がしっかりしなければならない。ここが大事。
 スポーツやレクレーションに至っては俺はいたってダメだが、人間、まず基礎体力がなければ何事も成すことはできない。日本に帰ったら、まずこの基礎体力づくりの為、走ることを日課に取り入れたい。まず意思の力が大事だ。
 次に仕事。仕事ができぬようでは、人間、役に立たない。
 そして英語を武器にして知恵をつけようと思う。読書が大事だ。
 次に変な言い方かもしれないが、自分を美しくしたい。むずかしいと思うが、あまり物事に動ぜず、人間を磨きたい。醜さを避け、誇りをもちたい。
 俺はアメリカ人でもフランス人でもドイツ人でもない。和服も似合えば着てみたい気がしている。
 話は変わるが、英語は話せないと読めない気が最近している。以前は、聞けなければ、そして読めなければ話せないという認識をもっていた。それは今でも正しいと思うが、最近思うのだが、ロッドという先生が言っていたが、listening, reading, speaking, writingは一緒に進歩していくものだと。言語活動は、どれが欠けてもダメだと。話せるが読めないというのは嘘だし、読めないが話せるというのも嘘だ。言語活動はどれも一緒だと。
 またまた話は変わるが、どこの国の人も、どこの都市の人も、どこの町の人も、どこの村の人も、何か足りないということなのだ。それが異国、違う都市、違う町、違う村の人という意味なのだ。死ぬまで勉強ということなのだろう。
 ニコラは最近、トランペットを習い始めた。俺は日本でドラムを習いたいと最近考えている。リズムは人間にとって大事なものだ。
 言葉を学ぶということは、その国を学ぶことでもある。私が学ばなければならない考え方は以下の通りだろう。


 Forget it!
 気にするな。忘れてもどうってことないということは、忘れろということ。Take it easy.も同様。俺は、take everything seriously(「真面目に考え過ぎる」)。どうせ性分で、常に真面目に考える人は、”Forget it.”を学ぶべきだ。ヨーロッパ人の特徴として一般にpessimisticであり、アメリカ人はoptimisticなので、これはニコラも同じ考えだった。忘れることも大事な能力である。


Have a good time!
 楽しもうの精神。俺はできない。だからこそ学ぶ必要がある。


Thank you!
 「すみません」「ありがとう」は、日本人の場合、同じだが、これはThank you.でいいのではないか。「いつもすみませんね」も魅力があるが、I’m sorry to trouble you.は疲れる。嬉しい時は、単純にThank you.(「ありがとう」)でいいのではないか。


No!
 腹芸ではなく、本音を言い合う。ディベートを学ぶべき。となれば、まず、NoはNoであるということを学ぶべき。Yes, Noの区別はアメリカ語と違って、混乱する。相手の発言に合わせるのではなく、自分の立場から、NoはNoであることも学ぶべきである。
 自己主張、ディベートは善である。目的意識をはっきり持つ。問題意識、批判的精神を学ぶ。これらは学んでよいものである。今までの自分の意見と違うが、西洋かぶれもよし。ただし、日本人としてのアイデンティティを忘れぬこと。これさえ忘れなければ、外国の真似も無駄にならない。しかし、日本人の勤勉さ、真面目さ、和を尊ぶ精神は、外国人が学ぶべきだ。