アムンセンのソリとスコットの動力ソリ

 また、3階では、アムンセンとスコットの貴重な資料を見ることもできる。ここクライストチャーチは、南極に近い街としてスコット隊の南極探検のベースキャンプ地*1として使われたのであった。「アムンセンとスコット―南極点への到達に賭ける」(本多勝一)を愛読した私としては、アムンセンが使用したソリや、スコットが使用した機械ソリと同型のものなど、感慨深く見た。アムンセンが使用したソリが壁にかかっていたが、そのソリには表現できないほどの美しさがあった。
 極地探検でスコットが使用した動力ソリは、機械という一見ハイテクな印象を当時与えたに違いないが、ハイテクなものほど一旦壊れてしまったら、どうにもならないものもない。複雑なものは、一旦壊れると、無用の長物にしかならないのである。事実、スコット隊が先発隊として用いた二台の動力ソリは、結局、二台とも使い物にならなかった。その点、このアムンセンのソリは、単純であるがゆえに、力強さにあふれ、そして美しさがある。
 アムンセンに遅れること一ヶ月、世界で二番目に南極点に到達したスコットが率いたイギリス隊は、帰途全員が遭難死してしまう。南極点初到達に賭け、敗れたスコットと、成功したアムンセン。この二人の運命を分けたその原因が先に紹介した本に詳細に記載されていて興味がつきないのだが、スコットが王立地理学協会から「任命」された、いわば雇われ隊長だった一方、アムンセンは子どもの頃から極地探検にあこがれ、とくにフランクリンの探検記に感動し、「未知の大自然で苦難に挑戦したい」と思って「すべては極地探検のために」準備をしてきた。まずは、こうした二人の動機の違いにあるに違いない。このアムンセンの自主性のおかげで、アムンセンは徹底して自分の頭で考えたことだろう。さらに言えば、南極点到達というのは、単独ではできない仕事であり、いわばリーダーとしてチームワークをどうつくりあげるのかという「リーダーシップ」の問題がある。この点でも、スコットとアムンセンでは大きな相違点があったという。また、備品や道具の選択の問題では、スコット隊の先発隊として用いられた前述の動力ソリに加え、本隊のソリを引かせる動力としてスコットが馬を主力に考えた一方で、アムンセンは犬を主力に考えた点が決定的だった。50数匹の犬で引かせたら確かに早かっただろうと思わせる美しさが、このアムンセンのソリにはあるのである。
 スコットとアムンセンの話はとても面白い話なので、これを書き出すと止まらない。いま私が書いていることは全てこの本を読んで私が理解したことを書いているだけなので、あとは「アムンセンとスコット」を読んでもらうしかないのだが、アムンセンは、この起動力のあった42匹の犬を殺しながら、南極の地中に埋めていって、南極到達後の帰り道は、貯蔵されたこの犬の肉を食料にして、それを食べながら帰ってきたというのである。犬を食料にするこの方法をアムンセンは大先輩ナンセンから学んだのであるが、アムンセンという大探検家の、なんという見通しと計算の確かさであろうか。
 アムンセンとスコット。このクライストチャーチには、博物館の近くのエイボン川にスコット(Robert Falcon Scott)の銅像が立っている。スコットの銅像は目につくが、アムンセンを記念するものはここクライストチャーチでは目につかない。イングランド人がつくったといわれるクライストチャーチは、南極探検に勝利したノルウェー人のアムンセンよりも、悲劇のイギリス人であるスコットびいきなのではないか。そんなことを考えながら、このアムンセンのソリを再度眺めると、その美しさにまたほれぼれとしてしまうのである。
 他にもクライストチャーチの地形を説明している展示や、ヨーロッパの歴史的な食器類、ビクトリア時代クライストチャーチの町並みの再現、鳥類の展示など、カンタベリー博物館にはなかなか見ごたえがある展示が少なくない。博物館入り口に土産物屋があるが、旅は始まったばかりである。参考に見ておくだけにしよう。
 博物館の前は、現在はアートセンターと呼ばれるエリアになっていて、カフェやみやげ物屋、映画館などがある。このアートセンターはカンタベリー大学の跡地であるらしい。Le Caféという名のカフェで昼食を取る。39.0NZドルだったから、大体、2730円。

*1:アムンセンとスコット―南極点への到達に賭ける」(本多勝一)によると、アムンセン隊はスコット隊よりも二ヶ月も遅れて南極探検に出発しており、モロッコ沖のマディラ島には両方の隊が寄港しているが、その後はスコット隊があちこち寄港しているのに対し、アムンセン隊は一直線に南極に向かったという。このため、出発のときには二ヶ月もひらいていたのに、南氷洋に入ったときにはスコット隊の方がわずかに10日早いだけという小差に縮まっていた。したがって、ニュージーランドに寄ったのはスコット隊だけであって、アムンセン隊は全くニュージーランドには寄っていない。スコット隊のルートは、メルボルンから、リトルトン、ダニーデンから南極に向かったのである。ちなみにこのリトルトンというのはクライストチャーチから12キロ離れた港町であり、したがって、クライストチャーチがベースキャンプであったという表現は正確な表現ではなく、リトルトンがベースキャンプ地であったというのが正確な言い方になる。