朝、オークランド空港近くのモーテルのテレビをつけていると、ニュージーランドの大学に関する報道をやっている。ニュージーランドは、先住民族の問題を除いて、ヨーロッパ的な視点だけで見るならば、イギリスやアイルランド、フランスとヨーロッパの移民から始まった国である。その点では、経済や政治、文化・教育的に、イギリスの卵の殻が歴史的についているのだろう。おそらくニュージーランドの大学は、イギリスの大学と競合しているに違いない。ニュージーランドでも、よりよい教育を受けたいと考え、なおかつ経済的に余裕があるならば、イギリスで教育を受けるというのが、未だにステータスなのではないか。ところで、何をもって、大学を比較するのか。一般には、教育と研究ということになり、教育力よりは研究能力の方がより一層重要視されるに違いない。
今なされているテレビ報道のように、ニュージーランドで評価の高い順からいうならば、オークランド大学、カンタベリー大学、ビクトリア大学、オタゴ大学、ワイカト大学という順番になるのだろう。しかし、日本でもグローバル時代といわれるが、グローバルスタンダードといっても、その基準はむずかしい。こちらは、もともと英語文化圏の中でのランキングがあるだろうから一層深刻であるに違いない。たしかにグローバル時代である。その視点は抜かせない。ただ、ローカルに徹しなければグローバルにもならないという視点もそれ以上に重要なのではないか。グローバルだからといって、ローカルに徹することなく、中味なきコスモポリタンになってしまってはいけないと思うのだ。