マオリ土地戦争ゆかりの地を訪ね歩く−その1−

ポケノにあるイギリス女王の砦跡地

 ネビル=リッチー(Neville Ritchie)によって書かれた「1863年1864年のワイカト戦争−主な出来事と跡地−」(‘The Waikato War of 1863-64 -A guide to the main events and sites-‘)という小冊子をテ アワムツ博物館にて二ヶ月ほど前に買い求めていたのだが、このガイドに22ものマオリ土地戦争ゆかりの地が紹介されている。
 これに沿って、マオリ土地戦争の古戦場を訪ね歩いてみることにした。以下に紹介する内容は基本的にこの小冊子を参考にして書いている。

 まず、私の住んでいるハミルトンからポケノ(Pokeno)*1に行ってみることにした。
 ここには「イギリス女王の砦」(Queen’s Redoubt)と呼ばれるニュージーランドでは最大のイギリス軍の砦があった。100ヤード四方というから、91メートル四方ほどの大きさで、450人もの兵隊を収容できたという。
 ワイカトのマオリを侵攻することを目的としてイギリス軍が拠点とした場所であるから、ここから旅を始めるのがふさわしいと小冊子の記述にもある。
 昼食用にサンドイッチを積み込んで、オークランド方面に1号線を北上する。そもそもオークランドからワイカトに至るこのステイトハイウェイ1号線は、the Great South Roadと呼ばれ、1862年から63年にかけて、つまりマオリ土地戦争の始まる前年に延長された。まさにグレートサウスロードは、軍事的に重要な軍用道路であったわけだ。
 マオリ女王が住んでいることで有名なナルワヒア(Ngaruawahia)を過ぎ、ランギリリ(Rangiriri)の闘いがあったランギリリを過ぎ、メレメレ(Meremere)を過ぎて、ポケノ(Pokeno)にたどり着いた。
 ハミルトンからポケノまでは、78キロだった。
 ところでニュージーランドの運転の印象だけれど、市内は大抵50キロの制限速度だが、町を出ると、70キロ、80キロ、100キロの法定速度になるから、ポケノまでの80キロは、日本の感覚だと、約半分、40キロくらいの距離感に近い。
 ステイトハイウェイと呼ばれ、国がつくったハイウェイなのだが、無料だから料金所などの境目があるわけでもない。
 あちこちの一般道路がハイウェイにくっついているだけで、町に近づくと、表示されている速度が落ちるだけの話だ。町を抜けて郊外に出ると、再度100キロ表示になる。途中、片道二車線になって、遅い車が左を、追い越し車線が右を走るのは日本と全く同じ。こうした二車線道路が間隔を置いて登場する。この二車線道路に関しては、あと何キロで二車線道路が登場すると表示されるので、遅い車のあとでイライラさせられる車は、道路が二車線になるのを待てばよい。
 小冊子には、歴史的な出来事と、その跡地へのアクセス方法が詳細に書いてあるのだが、ご丁寧に路上駐車すべき道路名まで書いてあるので、私もそれに従うことにした。

*1:ポケノは、マオリ語で、Turbirdの意。あるいは、pōがnightで、kenoがunderworldを意味する。