自動車に乗れることは必要不可欠

 さて、交通手段といえば、ハミルトンではなんといっても車である。いや、ハミルトンに限らず、ニュージーランド全体で、そう言えるだろう。ニュージーランドでは、車はあってもなくてもいいものではなく、車は必需品である。
 アレックスとジュディの孫で、クリスティーンの長女ニコラは眼が不自由だ。母親が気をつかって、ニコラには水泳とバレエを習わせている。医学の進歩により、将来直らないとも限らないけれど、今のところ、テレビも眼の前で見ないといけないらしく、1メートルの近距離でテレビを見ていた。すぐ下に弟のイアンがいて、ある日、飛行機が飛んでいたときに、その飛行機を発見して、「見て、見て」と弟のイアンが言ったというが、お姉ちゃんのニコラには見えない。そのとき、ニコラは”It’s not fair!”(「私だけ見えないなんて、不公平だわ」)と叫んだと、ジュディが言っていた。その話題が食卓で出た際に、「(他のことはあまり気にかけていないんだけれど)あの子は、将来車に乗れるかしら」とジュディは心配していた。私が解釈するところ、ニュージーランドで車に乗れることは生活のイロハで、車に乗れないことはかなりのハンディと考えられているに違いない。
 実際、アレックスとジュディの家には、車が二台あるし、74歳と71歳の彼らの生活は車なしには成り立たない。ゴルフも、買い物も、全て車だ。私は、ここハミルトンでは、40分くらいならガンガン歩いているけれど、車の必要性は感じている。日本のように車があれば便利ですねというレベルではないのだ。
 アレックスとジュディの家に街中(シティセンター)から行くには、バス停を降りて5分くらい歩く。バス停から降りてすぐ自動車道路を横断しなければならないのだが、これが結構大変で、判断を間違えると即死間違いないというスピードで自動車が往来している。歩道も結構広いのだが、みな車に乗って移動していて、私のように歩いて移動する人はほとんど見かけない。