初めてマラエに入る

 私の持っているマオリ語の辞書によれば、マラエ(marae)とは、”meeting area of whānau or iwi, focal point of settlement, central area of village and its buildings, courtyard”とある。マオリ語の中では、この「種族」「骨」「民族」をあらわす「イウィ」(iwi)も「防御柵のある村」を意味する「パー」(pā)と同様に重要な語彙らしい。
とにかくマラエは、マオリにとって「家族」「種族」「骨」「民族」の「中心」とも言えるほどの重要な場所なのだ。
 ロトルアで、マラエを訪問したことはあるが、中に入ったことはない。今回がマラエに入る初体験である。
 マラエの前で女性が朗々と歌いだした。「歓迎する」(welcome)の意味の「ハエレ マイ」(haere mai!)と、唄っているのがわかる。私には、それが日本語の「入れ まいれ」に聞こえたりする。
 それに答える形で、本来は迎える側なのだろうが、生徒たちと一緒にいたマオリが私の横で歌い始める。そのマオリの指示にしたがって、20名ほどの生徒たちが、小雨の降る中、前進し、靴を脱いで、マラエに入る。
 マラエの中で、生徒たちは、訪問者の立場になるのだろう。椅子が用意されていて、男性が前、女性が後に座る。男性が前というのは決まっているらしい。「クジラの島の少女」でも、マオリ文化が男性中心の文化であることがわかるけれど、ジュディも、「マオリ文化は男性中心なの」と言っていたことを思い出す。
 迎える側は、我々の講師であるヘミと、長老の男性が一人、そして女性が一人で、迎える側は全部で3人。長老が、マオリ語で歓迎の挨拶をし始める。音声的には、多少マオリ語に慣れてきたものの、意味としては私にはちんぷんかんぷんである。結構長いスピーチが続き、マオリ語がわかっている者は、スピーチに反応して笑ったりしている。
 長老のスピーチが終わると、我々の代表として私の横に座っていたマオリがスピーチを始める。これも結構長い。スピーチが終わると、挨拶の代わりなのだろうか、訪問者全員で唄を歌って、その後、私の後に座ってた女性陣から順に、迎える側の三人のところまで移動し、ホンギ(hongi)と呼ばれる鼻をつけ合っての挨拶をし始めた*1。私も講師のヘミをはじめに、長老と、女性のマオリに鼻をつけ合って、「キオラ」と挨拶をした。男性と女性の場合は、頬に軽くキスをしたりしている。
 一通りの儀式が済んで、椅子を片付け、マットを敷いて円陣を組むと、長老からして、リラックスし始め、でれっと横になっている。
 今日は、マオリ語の授業はないのかと思っていたら、その後、「コ〜トークホア Ko…tōku hoa」(「私の友人の名前は〜です」)、「ノ〜イア No…ia」(「彼/彼女は、〜出身です」)、,
 「ケイ〜トーナカァインガ Kei…tōna kāinga」「彼/彼女の家は〜にあります」という表現を使って、友人の紹介をし合うことになった。ヘミという講師はなかなか我々を甘やかしてはくれない。新しいコトバを使って、自己紹介や他己紹介をするのは結構疲れる。
 その後、長老から、マラエの内部の装飾や彫像物についての説明があった。マオリ文化は、先祖を大事にする。我々がどこからやってきて、どこへ行こうとするのか、いわばアイデンティティをとても大事にするのだ。だから、このマラエも、いろいろな血縁性、地域性を表現しているようだ。
 マラエの「窓」は、亡くなった祖先の魂の出入り口であることや、マラエ内部に飾ってある6つの彫像物にも意味があり、「尊敬」「能力」「謙遜」「愛」「相互扶助」などを、それぞれシンボルとしているという。「愛」をシンボル化している彫像物は、母親が食べ物をかんでやって、子どもに与えている姿を表現しているのだという。そして、それが「愛」を意味しているとのことだ。「相互補助」をシンボル化している彫像物は、「食べ物」だけでなく、「知恵」も共有化するのであると説明していた。
 マラエの家屋そのものが、人間の身体を表していると授業で聞いたことがあり、屋根の屋台骨は、女性の骨を現しているのだともマオリの学生から聞いたことがあったが、長老の説明では、ワイカト川沿いの村々をも、このマラエでは描写され表現されているという。長老は、ワイカト川は、その昔、村から村へ移動するハイウェイだったと説明した。とうとうと流れる大河・ワイカト川を思えば、納得できる説明である。
 長老に、マラエ内で写真は撮影していいのか聞いてみたら、問題ないとの返事だった。いつでも来て、写真を撮ったらいいと言ってくれた。
 その後、食堂に移動して、持ち合ってきた食べ物をみんなで食べて、解散となり、私のマラエ初体験が終わった。

*1:神が鼻から生命の息吹を吹き込んだと考えるところから、鼻と鼻をつけることによって、ホンギには、生命の息吹を分かち合うという意味がある。