日本はアジアの人々を前にして意見を述べて、自分を鍛えないといけない

 思うに、思考の問題としても、こうした具体的な多民族的環境そのものが、日本には必要なのではないか。
 私から言わせれば、日本は、内なる鏡を見ながら自分を見つめているだけだから、自分の姿すら見えない状態だ。だから日本では、政治的に説得力のない議論が主流になってしまうけれど、アジア諸国やヨーロッパや世界の人々を眼の前にして、そうした説得力のない議論をきちんと主張できるのか、私には根本的な疑問がある。
 われわれ市民も経験不足は否めない。たとえば、あなたのまわりでアジア人に友達がいる日本人を数えてみたらいい。そうした日本人は情けないほど少ないのではないか。
 思うに、これは、戦前の反省をきちんとしていないからではないのか。だから、日本人には、友達ができないと思えるのだ。
 つまり、国のレベルでも日本は、アジアとの友好的な関係を十分つくりあげることができない。そして、市民レベルでも、アジアに友人をつくれないというのは、双方大いに関係がある。
 市民レベルでも、もっと交流し、アジアでも友人をつくっていかないと、日本はますます孤立するばかりだ。
 それには、市民レベルでも、たとえば、朝鮮人、中国人、ベトナム人、マレーシア人、タイ人、インド人、カンボジア人を眼の前にして、討論をしないと、日本のあるべき姿や、やるべきことが、見えてこないのではないか、そんな気がしてならない。