マオリのメレメレ砦

 次の目的地は、Site 6 Meremere。メレメレ砦である。
 コヘロア高地での敗退以前に、ワイレム=タミハナ(Wiremu Tamehana)*1の指導下で、マオリ塹壕を用いてメレメレを防衛していた。
 8月から10月にかけて、軍艦パイオニアと小高い丘にあるメレメレ砦とで砲火の攻防戦があり、マオリの抵抗は続いた。メレメレはマオリにとっての重要な砦であったのだ。
 後にコヘロアとランギリリという戦艦も加わることになるのだが、10月31日、キャメロン将軍は、600名という兵士を、4隻の船と、軍艦エイボンとパイオニアに乗船させた。
 ファンガマリノ砦から40ポンド砲でマオリの陣地メレメレを爆撃しながら、エイボンとパイオニアは小船を従えて、メレメレを通過した。
 イギリス軍の軍艦はマオリの攻撃を受け、撃たれはしたものの、マオリマスケット銃によってイギリス兵士が負傷することはなかった。600名ものイギリス兵が上陸し、マオリはメレメレの陣地を放棄することを余儀なくされた。

 さて、このメレメレ砦に行くには、今は廃墟と化している1号線近くの元メレメレ発電所の前を通り過ぎ、高台を少し上がって、Meremere Laneへと左折し、そこに車をとめた。
 さらに高台にあるコンクリの大きな貯水タンクをめざして、草むらを歩いて上ると、そこにメレメレ砦を説明した標識を見つけることができた。
 高台のメレメレ砦からは、周囲がパノラマ状態で見渡せる。突然「兵どもが夢の跡」という芭蕉の句が私の脳裏をよぎった。
 後退を余儀なくされたマオリは、各部族に呼びかけ、ここから20キロほど南下したランギリリに集結する他なかった。
 そして1863年の11月20日から21日にかけて壮絶に闘われたランギリリでの戦いで、マオリは決定的な敗北を喫することになるのである。

*1:小冊子では、Tamehanaと綴られているので、今回はこれに従った。ワイレム=タミハナは、Wiremu Tamihanaとも綴られる。