マオリの村落跡・キリキリロアがハミルトンと名づけられる

 ハミルトンからナルワヒアまでは、20キロ弱の距離で、いま私が滞在しているハミルトンは、大英帝国の軍隊によって、1864年にキリキリロア(のちのハミルトン)やケンブリッジに砦や建物が作られたのだが、これらはこれらの地にあって、ヨーロッパ的な最初の建物と言える。
 ロンリープラネットガイドブックによれば、考古学的な調査ではハミルトンにマオリが住んでいたことがはっきりしているらしいが、ヨーロッパ人が来た際には、マオリの集落にはすでに人はいなかったらしい。ワイカト軍の第四連隊からハミルトンへの移民が大々的に始まったようで、小型戦艦に擁護されながら、ウィリアム=スティール(William Steele)に率いられた隊が荷物船でハミルトンにたどり着き、1864年8月24日にマオリの村落キリキリロアに上陸した。そして、この地を、4ヶ月ほど前にタウランガ(Tauranga)のゲート集落(Gate Pa)の戦闘で死んだジョン=フェイン=チャールズ=ハミルトン(John Fane Charles Hamilton)にちなんで、ハミルトンと名づけたのであった。
 ハミルトンは現在、13万2千人以上の人口を抱えるニュージーランドでは内陸部にある都市では最大である。*1
 ハミルトンは内陸部にあるため、オークランドや他の都市との交通、情報伝達手段としては、当時ワイカト川しかなかった。それが、1878年の鉄道*2により、さらに今日では、道路と車によって置き換えられながら、発展してきた街なのである。

*1:ハミルトンは、ニュージーランド全土では四番目の都市になる。

*2:自動車が主流の今日、鉄道で移動することを考えているハミルトン市民はほとんどいない。