日本のアメリカ合州国理解

 今回のロサンゼルスへの旅で思ったのは、日本は合州国ばかり見ているけれど、あんまり合州国のことを理解していないんじゃないだろうかということだ。
 古くは堀江謙一青年に対する評価、近くは、イラクで捕虜になった日本人に対する見方。アメリカ合州国は、いうまでもなく、こうした個人の決断や自主性の発露に最大限の賛辞を惜しまない個人重視の社会だ。
 個人と社会とどっちを取るかといえば、それは個人だとニコラスも言っていた。
 ニコラスによれば、ヨーロッパは、個人と社会を計りにかけた場合、社会の方が重視される社会だと断言していた。
 日本はこれらから比べると、正当な個人の自主性や自発性の発露も弾圧されかねない「社会にご迷惑をおかけしてはいけない」という「個人いじめ」の社会だ。
 大体日本では、アメリカ合州国の事実として、イラク戦争のこと、ゲイのこと、ユダヤアメリカ人のこと、チョムスキー(Noam Chomsky)などの知識人の発言もあまり報道されない。ピューリタンカトリック教徒のこと、ブッシュ大統領に批判的な勢力についても、あまり報道されていない。
 大体、アフロアメリカンの黒人文化だって、どれほど報道されているのだろうか。食べ物だって、グリッツなどあまり知られていないだろう。
 今回の旅で私が再確認させられたのは、アメリカ合州国は、「消費社会のなれの果て」のような社会だということだ。実に、大量消費社会である。大体、夕飯など手間隙かけて作らない感覚で、夕食は、レストランやファミリーレストラン、ファーストフードで済ませてしまう。
 洗い物もきちんとしない感覚に近い。もちろん私が観たのは、中流の上から、さらにもっと高い社会階層であるけれど、ニュージーランドの方が、よほど質素で、手間隙かけて飯をつくり、洗い物をしているだろう。
 今回私が会った人たちは、危険なダウンタウンなど喜んで歩こうとはしない人たちだし、こうした社会階層で恵まれていない人たちを除外しての話だけれど、生活の質でいうと、日本などよりもよほど高い。
 またアメリカ大統領選挙では、無力感を感じているインテリが多いようだけど、そうした無力感を感じている層は合州国の方が広いのではないか。
 個人の意思を尊重する常識。言論の自由を重んじる空気は、日本などよりもあるだろう。
 また、なによりも私が驚いたことのひとつは、大都会・ロサンゼルスの公害も一時よりかなり改善されていたことだ。
 トニーは、ロサンゼルスには、日の入りはないと厳しい意見を言っていたけれど、私は毎日のように、マンハッタンビーチの日の入りを見ることができて幸せだった。
 私の観察では、現在の日本は奴隷社会のように働かされ、個人の自由時間や余裕もない。遊びもない。自然と触れ合う時間もない。家族と一緒に夕食をともにするささやかな幸せもない。子どもと一緒に社会施設に出かけて学ぶ機会も少ない。生活の質としては、昔なんかよりも低下しているのではないか*1。それで自分や家族の生活を犠牲にして、そこそこの金は稼げるかもしれないが、生活物資も高いから、何も残らない。せいぜい、海外旅行をする際に、円の恩恵にあずかるくらいだ。それで問題解決のための情報も充分に与えられず、まともな議論や討論もなく、こんなもんだと諦めさせられている。日本の特によくないところは、自分のやっていることがよくわかっていないということのような気がしてならない。
 それで、自分の人生の終わりに、果たして自分の人生は何だったんだろうと痛感するのは必至だ*2
 今の日本は普通でない。
 普通のことが普通にできる国に、日本をしないといけない。

*1:こう書いていたら、日の出入りを見たことのない子どもが増えているとの新聞報道がされていた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041128-00000002-san-soci

*2:ニュージーランドの年配者は、この点、元気だ。90歳代でゴルフも旅も車も運転しているのは、結構、普通だったりする。