ワイカト大学の教授に私が読むべき研究者の名前を教えてもらった

 初級マオリ語を教えてくれた講師のヘミに会いにワイカト大学(The University of Waikato)に行ったのは、彼にいろいろと教えてもらおうと思ってのことだ。
 マオリ語が公用語化されたのが1987年という遅い時期であったけれど、それ以前は、学校教育での英語の一元化が進み、マオリ語は死滅するかという議論まであったわけだから、いわばマオリ語は、英語に包囲されていたと言える。もちろんマオリ語は死滅してはいないけれど、そのマオリ語を広く復活させ、コハンガレオ*1の運動などで、マオリ語による幼児教育を広め、今日マオリ語のテレビ放送までがあり、現在では、マオリ語だけのトータルエマージョン学校と、英語だけのメインストリーム学校、英語とマオリ語のバイリンガルの学校と、大きく分けて、三つのタイプがあるようだが、小学校の教師になりたいと願っている私のホームステイ先の孫娘のナタリーもマオリ語をやらないといけない段階にまで政治的・教育的な配慮がされるようになってきている*2マオリ語を公用語化させるまでの道のりはさぞかし大変だったと思うが、その歴史的過程を通して、言語に関わる思想と教育政策や言語政策を学びたいと、私の問題意識を彼に述べた。
 講師のヘミは、彼の所属する学部の年配の教授を紹介してくれて、マオリ語で電子メールを書いてくれた。この教授がたまたま近くにいたようで、その教授がすぐにヘミの部屋を訪れてくれた。
 ヘミとのマオリ語での会話や、私との英語のやりとりで、この教授のマオリ語と英語のレベル、そして何よりも彼の教養と見識が、格別に高いものがあることが、私のような者でも、瞬時に理解できた。実際、私はこのような教授に指導を受けたいと思った。
 彼は、マオリ語の現在までの歴史を学ぶには、これを一冊読めば済むというようなものはなくて、あれこれ読んで、まとめないといけないだろうと言いつつ、重要な研究者の名前をあげてくれた。
 彼が紹介してくれた、その重要な研究者の名前は以下の通りである。
 これらの本を読んで、さらにその本の中で参考文献にあがっているものを読んだらいいと私に助言してくれた。

  • ランギヌイ=ウォーカー(Ranginui Walker)
  • リチャード=ベントン(Richard Benton)*3
  • ティモティ=カーレツ(Timoti Kāretu)*4
  • ターマティ=リーディ(Tāmati Reedy)*5

*1:コハンガレオは、「コトバの巣」という意味で、マオリ語やマオリの伝統文化を教える幼児教育のこと。1981年に始まり、80年代にあっという間に広まった。

*2:その一方で、イギリス語を母語とする人たちの間には、なぜマオリ語に固執するのか、英語でいいではないかという本音の議論がまだまだ根強くあるようだ。

*3:R.ベントンは、中村敬氏の「英語はどんな言語か」の文献目録で紹介されている。

*4:ウエリントンで活躍するコハンガレオのCEO、最高責任者。

*5:イカト大学の教授。