額に汗して真面目に働くもののための政治になっているのか

シンガポールの大衆食堂街

 今日の朝日新聞で、経済アナリストの森永卓郎氏が、「錬金術師に有利な税制」として、今日の日本経済と社会について論評している。
 例の高額納税者の公示で、その昔は、石橋正二郎ブリジストン社長や松下幸之助松下電器会長など、「新しい商品の発明などで国民生活を改善し、社会に貢献した人たち」が名前をつらね、「至極真っ当な社会だった」一方で、今回の高額納税者をみると、「カネを右から左に動かすだけ」の「錬金術師」ばかりではないかという。
 それでも、森永氏によれば、高額納税者リストに載っているのは、「錬金術師」の中では、比較的正直な人たちだと書いている。それは、「錬金術師」の「多くは節税策を駆使して納税額を抑え」、そのリストに登場しない人たちがたくさんいるからだという。
 3月末に短期間旅行したシンガポールで感じた印象だが、多くの貧乏人が自分の仕事に誇りをもって元気に暮らしていたことを思い出す。
 日本もその昔、たとえ貧乏でも誇りをもって仕事をしている人々が多く、元気だったのに、今の政府がやっていることといったら、「消費税率引き上げの準備を内々に進める」(森永)ことだったり、「零細企業に税務調査に入り、ささいな過ちをとがめて追徴課税する」ことだったりする。「伝統的な技術の継承者、中小商店主、タクシー運転手といった、まじめにこつこつ働いている人たちの処遇がどんどん悪くなってきている」(森永)のだ。
 カネを右から左に動かすだけで莫大な利益を得ている奴がえばっている社会なんて、まともであるはずがないし、まさに日本が面白くない国になりつつある原因である。
 2003年の「税制改正で、株式投資に関する税金などを劇的に減らす一方で、発泡酒やワインなどの大衆課税を強化した」というのも、やるべきことをやらず、やらなくてよいことをやっている好例だ。
 これを政治の貧困といわずして、何と言おうか。