「植木枝盛選集」の「解説」を読んだ

植木枝盛選集

 本文はまだ1ページも読んでいないが、「植木枝盛選集 (岩波文庫 青 107-1)」を購入した。
 編集にあたった家永三郎氏の「解説」をはじめに読んだが、これがまことに含蓄のある名文であり、感心するほかなかった。文章の技術云々というのではなく、植木枝盛に対する家永三郎氏のインタレストと、その学識に対して、敬意を表する他ない。
 「解説」は、もちろん全文植木枝盛について解説しているのであり、私の下手な紹介などより、解説全文を読んでほしいのだが、たとえば、家永氏の次の箇所に、植木枝盛に対する氏の興味関心・敬意と同時に、学者・知識人としての突き放した態度の中に、冷静な客観性をたもとうという矜持が感じられる。

枝盛の思想の質は政治家としての枝盛を超えたところまで深められ、その客体形象化された思想上の業績には、その活動していた時代を超え、はるかに遠く敗戦後の日本の進路を指示しているものが多く含まれている。必ずしも質の高いといえない政治家が、思想家としては時代を超えた先駆的予言者的識見を発揮したというところに、何か精神分裂的徴候を感じさせるものもないといえないが、そのことは生身の人間植木枝盛の問題であって、客体形象化された著作の価値を左右するものではない。


 また、「人間植木枝盛」と、「客体形象化された著作の価値」ということでは、以下も興味深い。
 

ただここに問題となるのは、一夫一婦を力説し、公娼制度廃止運動の先頭に立った枝盛が、民権運動全盛期の頃からしばしば遊里に出入りしてきた事実である。当時の民権運動家たちは「酔うては枕す美人の膝、起ちては握る天下の権」という幕末尊攘の志士たちの気風から脱却できず、馬場辰猪をもふくめすべてが遊里での放蕩を日常茶飯事としていたから、その点別に枝盛のみが特別に好色だったわけではない。それにしても、蕩児枝盛が自己の行為に何の自己批判もなく廃娼論を高唱した事実は、やはりすなおに理解しがたいであろう。それについては、私見もあるが、今は深入りしない。


 英語教師の私には、次のような家永三郎氏の評価も興味深かった。

 終生横文字を読まず、ほとんど正規の学校に就かず、読書と講演とのみを通じて、明治初年の文明開化期にみちあふれていた新思想を吸収した。西洋思想はすべて不完全な飜訳書だけを通じて学んだのであるけれど、原書を読み、あるいは欧米に留学した人々よりも、はるかに適格に西洋近代民主主義の基本論理を理解していたように思われる。


 36歳の若さで世を去った植木枝盛。毒殺されたという推測があるが、家永三郎氏は、もとより確証は不可能だが、「私は毒殺された公算が高いと思っている」と「解説」の中で書いている。