9月1日付の朝日新聞で、一橋大学名誉教授の野中郁次郎さんが、日本の経営について語っていた。
私は経営のことはよくわからないし、経営関係の書物もほとんど読んだこともない。また、野中郁次郎さんについても、そのお名前を聞いたことがなかった。
「オピニオン」欄の「よみがえれ日本の経営」と題するこのインタビュー記事を読んで興味深かったのは、「暗黙知」という概念である。
「暗黙知」とは、「言葉にうまくあらわせない現場経験から得られる」もので、その一方、今日では、私たちに馴染みの深い「言語化できる知識、すなわち『形式知』」があるという。今日では、この「形式知」のほうが基本とも思える。
そして、野中さんに言わせると、「形式知と暗黙知を相互に変換させながら、新たな知を生み出すことが重要である」そうだ。そして、今日、この弱点は「多くの日本企業に共通する傾向」だという。
「経営の近代化とは、暗黙知をマニュアルのような形式知にして科学的に経営することだ、と多くの人は考えていませんか」という質問に対して、野中さんは、「それは間違いだと思います」と喝破する。「マニュアル経営の最大の問題は、観念論に走り、人間の直観力が減退することです」と続ける。
全部チェック、チェックと過剰にやったらチェックリストになってしまう。これでは『マニュアルに書かれていないものがあるのではないか』『このようなマニュアルになった背景は何か』などと、現場で状況や文脈に応じて適時適切に判断する『実践知』が働かなくなる。暗黙知という概念を最初に唱えた科学者ポランニーは『我々は語れる以上のことを知っている』と述べています。すべてを科学的に分析し、経営することは不可能でしょう。
「経営は科学だ」という考え方や、客観的に、分析的にということを強調することから、何が起きるか。
「人としての倫理、会社は何のために存在するのか、といった主観の部分が抜け落ちてしまいます」と野中郁次郎さんは主張する。
あと野中さんの指摘で面白かったのは、「イノベーションはトップダウンだけでは生まれません。トップは壮大なビジョンを掲げる。現場には現実がある。両者をうまく組み合わせることで新しい価値が生まれます。その仲介役は、どこにどんな人材がいるのか現場を熟知しているミドル(中間管理職)です。トップが彼らに人事権を与え、優秀な人材を集めてプロジェクトチームを組ませる。あとは退路を断って目標に突き進む」という点と、「日本企業は欧米と違ってレイオフ(一時解雇)や、過激な人材の総入れ替えはなじみません。…人材を徹底的に生かす知の構造改革を断行するしかないのです」という意見である。
学校は経営ではない。経営ではないが、マネージメントでいえば、こうした視点からも学ぶことができるだろう。