今週の参議院予算委員会で、福島第一原発の汚染水の問題が論議になっていた。
モニタリングしていて海の汚染の値は基準値以下であるということで、安倍首相は、"The situation is under control."と言っていた。
だが、これは一体何を言っているのか。
私にはよくわからなかった。
国会の”論戦”を聞いていると、これは海洋全体の話ではなく、いわば定点観測で、いくつかの海洋の地点において、基準値以下であると言っているのに過ぎないのではないか。そういう印象を持たざるをえなかったからだ。
国会に参考人として出席していた広瀬東電社長は、毎日800トンの水が山側から海側に流れているが、その半分の400トンが1号機から4号機の建屋(建物)に流れ、残りの400トンが海側に流れていると報告していた。また汚染水を貯めているタンクは、いわゆるフランジ型で漏れやすいことがわかっているが、41万トン分のタンクがある。そのうち、36万トンの汚染水が現在貯まっており、全部で80万トン分のタンクの体制にする予定だという。
安倍首相の、"under control"というコトバの使い方だが、私には根本的な疑問がある。
それは、そもそも、現在、人類は、原発自身を、アンダーコントロールにできる能力を持っているのかという疑問である。
「トイレなきマンション」と言われるように、高レベル廃棄物の最終処分は、いまだどうしてよいのかわからない状態だと聞いている。安全管理上、原発自身、安全管理できないという根本的な欠陥があるのが現実ではないのか。
また、この事故の損害はどれくらいのものなのか。私には想像もつかない。
また、事故の対応も継続中であり、ひとたび地震や台風や豪雨が起こればどうなるのか。雨水で溢れ出すのであれば、コントロールさているなんて言えやしない。その対応は、これから何年も、何十年も、対応が必要になることは明らかであり、そのコストも、これまた想像もつかない。
2011年3月11日以降の福島第一原発事故の被害・損害、そして、現在も放射能物質で環境を汚し続けている現実。
そもそも、原発自身、そのものが管理できていない現状は明白ではないのか。
2011年3月11日、事故が起こって以来、2年半以上が経っているのに、収束していない現実をどう考えたらよいのだろうか。
前政権の野田首相が、原発事故についての収束宣言をおこなったことがあった。いまだ収束していないことは誰の目にも明白である。
現実を反映していない言葉は無力である。
私は、福島第一原発事故発生直後、自分の造語だが、"No control. No nukes."という言葉が浮かんだ。
人類は、いまだ原発を管理できる能力をもっていないと言わざるをえない。
さて、ことは管理能力だけの問題にとどまらない。
政府には、国民の命と健康を守る義務がある。
国民の命と健康を守れない政府は国民の力で正すしかない。
政府をコントロールするのは国民の力である。
これがノーコントロールでは困る。