「枯れ葉剤、問い続ける元米兵」

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 高校生の俺は、ベトナム戦争ルポルタージュを読むと同時に、アメリカ合州国西海岸の音楽も聞いていた。
 ルポルタージュを書いた何人かの新聞記者も亡くなっていった。
 大学生のとき、ベトナム戦争終結した。
 思春期の時期に、ベトナム戦争があった。
 以下、朝日新聞(デジタル2015年5月1日05時00分)から。
 

 ベトナム戦争中、米軍基地が置かれ、枯れ葉剤散布の拠点となったベトナム中部ダナン。海岸近くの小さな家に、米海兵隊の退役兵が1人、暮らしている。

 チュック・パラッツォさん(62)。1970年、密林の偵察部隊の一員としてダナンに派遣された。ジャングルを歩き、米軍機が上空から霧状の液体を散布しているのを何度も見た。

 木も葉もぐっしょりとぬれていた。かき分けて進むと、肌に液体がまとわりついた。散布から20時間たった森では、一面が枯れていた。おかしい。上官に尋ねた。「猛毒の枯れ葉剤だ」と告げられた。

 1年後に米国に戻ると、連夜、悪夢を見た。叫び、震え、汗をかいて目覚める。戦地にいるときから「この戦争に正義はない」と感じていた。海兵隊を除隊し、ニューヨークの大学に通って情報技術を学び、反戦運動に加わった。

 帰国した仲間たちは次々と体調を崩し、何人かはがんや心臓疾患で死亡した。枯れ葉剤の影響だった。自身の身体は無事だったが、枯れ葉剤の影響は2世、3世にも表れる。85年に娘が、2年前に孫が生まれる前は心配でならなかった。

 80年代、1万6千人の米帰還兵が枯れ葉剤被害を訴え、米国の薬品会社を相手に訴訟を起こした。会社は責任を否認したが、和解金として計1億8千万ドル(約216億円)の支払いに応じ、米兵には補償金が分配されている。だが、ベトナムの被害者の訴えは「症例との疫学的証明がない」という理由で退けられ、米政府からの補償もない。

 「彼らはどうしているのだろう」。2001年、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で自らを遠ざけていたベトナムを訪れた。ハノイの空港の入国審査の係官は軍の制服を着ていた。恐怖がよみがえり、汗が噴き出した。だが、係官は笑顔で「ようこそベトナムへ」と英語で言った。市民の視線は優しかった。

 枯れ葉剤の被害に取り組むNGOを訪ねた。枯れた森林の多くは回復していたが、近くで採れた野菜や魚を食べる人々はダイオキシンをため込み、子や孫への影響が続いていた。山間部は貧しく、教育も治療も行き届いていなかった。

 「私は枯れ葉剤の目撃者。伝え続ける義務がある」

 06年、経営するソフトウェア会社の事務所を商都ホーチミンに開き、翌年、ダナンへ移転した。働きながら、被害を受けた子供たちが暮らす病院や施設を訪ね、海外からの支援につなげるため、ブログで発信を始めた。年に1度は米国から15〜20人の退役兵をベトナムに呼び、病院や関連施設を案内して回る。参加者から1人千ドル(約12万円)ずつ集め、寄付している。

 10年3月、米軍が68年に504人の村民を虐殺したと伝えられる中南部ソンミ(現ティンケ)を訪ねた。家族を皆殺しにされたという女性に出会った。緊張して向き合うと「私たちは悲劇を決して忘れません。でも、あなたたちのことはとっくに許しています。あなたたちも、自分自身を許してください」。救われた、と感じた。

 米国はベトナム戦争後もイラクアフガニスタンなどで軍事行動を続け、市民や子供も犠牲になっている。「ベトナムの教訓は何だったのか」。現場から米社会に問い続けている。

 「私はまだ、ベトナムで戦っているんです」


 ■NYから友好の旋律 異文化体験・英語熱、進む交流

 首都ハノイのオペラハウス。築104年、仏占領時代からの激動を見届けてきたホールで、もの悲しく、厳かな調べが響いた。4月3日、ベトナム国交響楽団の第79回定期演奏会。冒頭に奏でられたのは、米国人のサミュエル・バーバー作曲「弦楽のためのアダージョ」だった。

 ベトナム戦争をテーマにしたオリバー・ストーン監督の米映画「プラトーン」で使われた。映画は過酷を極めた戦場、正義を見失った若き米兵らの絶望を描く。農村を焼き払う場面、善良だった仲間の兵士が見殺しにされる場面で、その旋律は流れる。聴衆のベトナム人たちは目を閉じ、祈るようにこうべを垂れた。

 指揮したのは、ニューヨークから来たデビッド・アラン・ミラーさん(54)。楽団の音楽監督・本名(ほんな)徹次氏から招待され、ゲスト指揮者として選曲も担った。「今年は特別な年。平和と友好の思いを込め、この曲を選んだ」

 61年生まれのミラーさんに戦争の記憶は薄い。だが、敗戦を喫し、米社会で強く戦争の矛盾が問われていた時代に育った。「我々は過ちを犯した。この国の力になりたい」。平和と友好の思いを込めた。

 ベトナム政府によると、昨年ベトナムを訪れた米国人は44万人。中国、韓国、日本の次に多く、10年前の27万人から大きく伸びた。ベトナム戦争を知るリタイア世代が訪れたり、戦争を知らない世代が「異文化体験」で来たりする。

 一方、ベトナムの学生に今、人気の外国語は圧倒的に英語だ。旧宗主国のフランス語を話す人は高齢者らごく一部で、むしろ日本語の人気が高まっている。ホーチミンでは米フルブライト大現地校の設立準備も進む。在ベトナム米大使館は「今後、若い世代の交流がぐっと進む」と期待する。(ダナン=佐々木学)