「インテリ嫌いの寅だけど」

amamu2015-08-22

 以下、朝日新聞デジタル版(2015年8月20日05時00分)の「教養なんていらないの?」欄から。

 記事の中の「実生活の役に立たない学問を小馬鹿にする寅は、国立大学の人文社会系学部の廃止や転換を求める文部科学省と一見、相通じるものがある」というくだりがあるが、寅さんはどう思うだろうか。「一見」と断っているものの、すぐあとで山田洋次監督が語っているように、寅さんは、本物か偽物かを問題にしているのではないか。
 「「渥美さん自身は、大変な読書家でとても教養のある人でした。だから観客は安心して笑うことができたんだと思う」と山田監督。ところが今は、インテリをあざ笑う寅の表面だけが残り、裏側の尊敬や愛情が消えてしまった」というくだりは含蓄がある。教養論ではこの点を深めないといけない。
 テーマとは関係ないが、寅さんの映画の中で志村喬さんが演じた飈一郎だが、息子の諏訪博の結婚式のときに司会が名前を読めない場面を思い出すとおかしくなる。このときの志村喬さんのスピーチは名スピーチだ。

 日本の庶民は昔からインテリが嫌いだった。映画には、冷血動物のような高級官僚が眼鏡を光らせて弱い者いじめをし、学園ドラマでは、勉強ばかりしている生徒が「ガリ勉」とあだ名され、嫌われ役を担っていた。

 フリーライター永江朗さん(57)は、庶民のインテリ嫌いには「健全な面がある」と言う。「肩書や権威を信じないという態度につながっているからです」

 こうした庶民の代表は映画「男はつらいよ」の車寅次郎だ。渥美清演じるテキヤの寅は、うじうじ恋に悩む大学生を「インテリってのは自分で考えすぎますからねえ」と揶揄(やゆ)したり、若い医師に「てめえ、さしずめインテリだな」とタンカを切ったりして、観客の爆笑と共感を呼んできた。

 実生活の役に立たない学問を小馬鹿にする寅は、国立大学の人文社会系学部の廃止や転換を求める文部科学省と一見、相通じるものがある。

 寅の生みの親、山田洋次監督(83)は「しかしね、寅は本物の教養のある人はちゃんと尊敬しているんですよ」と言う。例えば、妹さくら(倍賞千恵子)の義父に当たる飈一郎(ひょういちろう)(志村喬)。彼は大学でインド古代哲学を教えていた。

 「今の政府が求めるものとは最も遠い学問でもね、飈一郎がインド哲学を一生懸命勉強していることがこの国にとって重要な意味を持つということを、寅はきちんと理解している。こういうインテリを適当にからかいながら、深い愛情を持って接しているんです」

 また、さくらの息子の満男(吉岡秀隆)から「何のために大学に行くの」と問われた寅は「(人生の一大事に直面した時に)勉強したヤツは、自分の頭できちんと筋道を立てて、はて、こういう時はどうしたらいいかなと考えることができるんだ」とも言っている。

 「渥美さん自身は、大変な読書家でとても教養のある人でした。だから観客は安心して笑うことができたんだと思う」と山田監督。ところが今は、インテリをあざ笑う寅の表面だけが残り、裏側の尊敬や愛情が消えてしまった。

 山田監督は現代の風潮を「知らないことを恥ずかしく思わなくなってしまったのでは」と憂える。一国の宰相がポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と平気で言ってしまえる世の中。若者たちも知ったかぶりをしなくなっている。いや、知ったかぶりさえしなくなったというべきか。

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 1980年代にはまだ知ったかぶりの文化が残っていた。『日本型「教養」の運命』などの著書がある帝京大筒井清忠教授(67)は「知識人と大衆が分離している欧米と異なり、両者の間がとても近かった」と言う。「しかし、その近さが災いし、70年代から大衆文化の影響力が増し、教養主義が衰弱していった。80年代はその最後の輝きだったのではないか」

 輝きの一翼を担ったのが、堤清二氏率いるセゾングループだった。イメージ広告を駆使し、文化的なライフスタイルを提示した。東京ではデザイナーズブランドの服を着た若者が「ポストモダン」と口にし、おしゃれな映画館シネヴィヴァン六本木に通って、商業映画に回帰したジャンリュック・ゴダールの新作を見る。小脇には浅田彰著『逃走論』を抱え、薄暗いカフェバーでフランス現代思想の用語を交えた会話を楽しんだ。

 「教養」はダサイ印象を与えるため、「知」と言い換えられた。「知」をまとうことは一種のファッションと化した。若者たちは争って背伸びをした。若者の背伸びは決して悪いことではない。それは成長の原動力となっていた。ただ一方で、資本主義に取り込まれすぎた「知」はうさんくささも露呈した。

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 教養を求める志向が人々の間から消滅してしまったかというと、必ずしもそうではない。例えばスタジオジブリのアニメ映画。世代や性別を超えて多くの人々が見ている。これを元に、異なる立場の人同士が意見交換できる。現代のコミュニケーションツールとして有効に機能している。

 ジブリ鈴木敏夫プロデューサー(67)は言う。「ジブリを支えた2人の監督、高畑勲宮崎駿は教養をとても大事にしている。僕は高畑さんから加藤周一を、宮崎さんから堀田善衛を教わった。2人とコミュニケーションを取るために、たくさん本を読みました」

 「千と千尋の神隠し」には日本古来の宗教観、「もののけ姫」には被差別民の歴史、「かぐや姫の物語」には伝承民話に対する深い教養が土台に横たわる。鈴木プロデューサーは言う。「ジブリの映画は『教養映画』と呼んでもいいかもしれませんね。高畑さんと宮崎さん、どちらの映画にも若者への説教が入っている。これも『教養映画』の一つの条件ですよね」