「1945年 哲学者・三木清の獄死 「共謀罪」に重なる治安維持法」

 f:id:amamu:20051228113104j:plain

 以下、朝日新聞デジタル版(2017年4月12日16時30分)より。

 「『共謀罪』が無くても、テロ犯は取り締まれます」

 日本弁護士連合会の共謀罪法案対策本部事務局長、山下幸夫弁護士(54)は、3月に横浜市であった神奈川県弁護士会主催の講演会で、聴衆約160人を前に語った。

 爆発物、化学兵器、ウイルスなどテロ準備が対象の法律はすでにある。国会で審議中の「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案は、「準備行為」が拡大解釈されれば犯罪と無関係の市民を監視し、政府と異なる意見表明を脅かす可能性がある。「社会を一つの方向に導く現代版の『治安維持法』です」と山下弁護士は述べる。

     *

 1925年に制定された治安維持法は、国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社やその加入を禁止し、思想運動や大衆運動を弾圧した。45年10月4日の連合国軍総司令部(GHQ)の「人権指令」で廃止された。

 指令8日前の9月26日、「人生論ノート」などで知られる哲学者の三木清は、東京の豊多摩拘置所の独房で、寝台から落ちて亡くなっているのが発見された。朝日新聞は「治安維持法等の容疑により拘引されたものと云(い)はれてゐる」「(三木の)獄死事件は(中略)思想警察への強い反発として多くの反響を呼んでゐる」と伝えた。

 三木の研究者で和歌山大名誉教授の永野基綱(もとつな)さん(80)によると、三木は2度、警察に検挙されている。最初は30年。知人に「頼まれて出した金」が共産党への運動資金だったため、治安維持法違反の罪で懲役1年執行猶予2年の有罪判決を受けた。法政大教授の職も失った。45年には疎開先の埼玉で、治安維持法関連で特高警察にマークされていた昔の友人を一晩泊め、金銭と服を提供。これが獄死につながる検挙となった。

 共産党員ではなく、首相を務めた近衛文麿の政策研究会の一員だった三木が検挙された背景を、研究者の永野さんは「三木は歴史と社会の中で生きる人間が直面する非人間的な問題を批判した。いわば行動的なヒューマニズムを貫いたからだ」と解説する。

 一方、治安維持法特高警察について研究する小樽商科大の荻野富士夫・特任教授(64)=日本近現代史=は「治安維持法の目的遂行罪による解釈の拡大がなければ、三木は獄死することはなかった」と話す。目的遂行罪は、28年の改正で、最高刑を死刑に引き上げるのとともに導入された。潜伏の手助けやカンパ、出版物配布の援助などが対象とされ、行為が目的遂行罪に当たるかは、本人の意図の有無ではなく、特高警察や思想検事の判断だった。

     *

 当初のターゲットだった共産党員だけでなく、宗教団体や自由主義・民主主義者へと取り締まりは広がった。太平洋戦争直前の41年の改正では再犯のおそれを理由に拘禁を続ける予防拘禁制が取り入れられた。警察の統計では治安維持法違反による検挙者は約7万人。しかし荻野さんは「思想事件」の検挙者は数倍だとみる。令状を読み上げられることもなく、罪名がわからないまま取り調べられ、「違反する」運動にかかわらぬように警告後、釈放されるケースも多かったという。

 九州地方の男性(91)も44年9月17日朝、突然、下宿から刑事に連行された。「戦死者は靖国神社に合祀(ごうし)するのではなく、キリスト教徒らの遺族の意思を尊重すべきだ」と書いた文集が検閲に引っかかったらしい。刑事に殴られる取り調べが1週間続き、釈放された。「治安維持法違反の検挙だと思っている。自由に発言できない時代が再び来ないことを願っている」

 荻野さんは「治安維持法を歴史的事項にとどめるのではなく、現代への教訓と考え、人権を脅かす法には声を上げ続けるしかない」と語る。(平出義明)


 ■社会のあり方、考え続ける 「三木清研究会」事務局長・室井美千博さん(67)

 1999年に発足した三木清研究会は、彼の郷里である、現在の兵庫県たつの市を中心とした会員が講演会や研究発表、「人生論ノート」の読書会をおこなっています。私は、三木が卒業した旧制兵庫県立龍野中学(現龍野高校)の後輩だったこともあって、高校時代から三木の著作にふれてきました。

 「人生論ノート」は戦時色が濃い38年に文芸誌「文学界」で始まった連載をまとめ、太平洋戦争が始まる41年に刊行されました。その一編「幸福について」にある「幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ」という言葉は、ファシズムの時代への批判であるとともに、現代にもあてはまります。

 「中央公論」の36年の論文「日本的性格とファシズム」では「単なる役割における人間はなほ真の人間ではなく、いわば偽善者即(すなわ)ち仮面を被(かぶ)つた人間である。真の人格はそのような役割を脱ぎ棄(す)てて裸の人間になつた時にあらわれる」といい、真の人格を認めない全体主義ファシズムでありヒューマニズムに対立すると述べています。

 三木は穏健な思想の持ち主です。その彼を獄死させた社会のあり方には憤りを感じます。三木は自ら考えることの重要さを訴えています。「今」がどのような時代か、一人ひとり問い続けることが大事だと思います。


 ■治安維持法の関連年表

<1925年>
 治安維持法制定

<28年>
 共産党員の大量検挙(3・15事件)
 治安維持法改正で最高刑が死刑になり、結社員だけでなく結社と関係する者(シンパ)も取り締まりの対象に

<30年>
 三木清共産党への資金提供容疑で検挙される

<31年>
 満州事変

<33年>
 作家の小林多喜二特高警察による拷問で死亡

<37年>
 日中戦争始まる

<38年>
 国家総動員法制定

<41年>
 予防拘禁制の導入と罰則強化を盛り込む治安維持法の改正(3月)
 太平洋戦争始まる(12月)

<42年>
 神奈川県特高警察が共産党再建謀議の容疑で言論・出版関係者らを逮捕。拷問で4人が獄死。「中央公論」「改造」が廃刊させられた(横浜事件

<45年>
 三木清検挙
 終戦(8月)
 三木清が獄死
 GHQの「人権指令」