政治も行政も任せられない人たちに任せているのは国民にとって不幸以外のなにものでもない

amamu2018-03-29


 外では桜が満開。春めいた季節を迎えているが、佐川氏の証人喚問をテレビで観て、気持ちは全く晴れない。いまの政治状況について、一市民として、憂慮するばかりだ。
 以下、意見の書きなぐりにすぎないが、佐川氏の証人喚問を見ての個人的感想である。
 
 想像や推測で書いている点も少なくない。
 踏み込みすぎている点や足りない点があれば、推敲しながら訂正していきたい。
 もちろん事実誤認の点があれば、訂正したい。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 憲政史上前代未聞の決済文書改ざん*1に関わっていたとされる当時理財局長であった佐川宣寿氏の証人喚問がおこなわれた。
 麻生大臣が「佐川が」「佐川が」と呼び捨てを連呼していたことを義家弘介元文科副大臣は麻生氏から呼び捨てにされるくらいに麻生氏から信頼されたいと発言したことは記憶に新しいが、察するに、麻生大臣と佐川氏の信頼関係は相当な間柄なのだろう。実際、麻生副総理の筋書きどおりに佐川氏はその役目を果たした。
 森友問題だけでも1年も国会議論で時間を費やしているが、改ざんされたニセ公的決済文書を公的決済文書として議論を重ねてきたことになる。
国会冒涜・国民愚弄もここに極まれり、である。
ジャーナリストの田岡俊次氏によれば、「個人的な収賄などと違い、中央官庁の組織ぐるみの公文書偽造と国会等に対する行使は政治、行政の秩序を根本から侵害し、国民の政府への信頼を失わせる点で国事犯(国家に対する犯罪)に近く、刑も騒乱の首謀者と等しい」と述べている*2
これからすると、森友・加計学園疑惑隠しのため冒頭解散を強行しての総選挙も、ニセの国会議論の上でのニセの選挙結果であり、各党の現有議席数も公平なものと言うことはできない。
改ざん後のインチキ決済文書を財務省が国会に提出したのは、誰と誰の判断によるもので、誰と誰の指示によるものなのか。
安倍政権は、改ざんニセ内閣といわれても仕方あるまい。そして今回の証人喚問における佐川氏のゼロ回答をみるならば、安倍政権は隠ぺい内閣でもあるといわざるをえない。


 安倍首相から発せられるコトバは、アベコベなことが少なくない。
 たとえば、福島原発事故後の「アンダーコントロール」。
加計学園問題でも、「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」といった文書や発言を、なかったことにする。
 森友学園問題でも、昭恵夫人の名前が出ているのに、かかわっていないと強弁する。
 こうしたあべこべ病は、安倍首相の取り巻きにも伝染する病のようだ。

 佐川氏は、決済文書改ざんの責任については認めながらも決済文書改ざんについての事実は明らかにせず、その一方で、官邸・総理夫人・財務大臣の指示はなかったと断言し、関与のなかった点を強調した。
 証人喚問には偽証罪が問われる厳しさがあることから佐川氏の発言は信ぴょう性があるという意見もあるが、官邸の関与なしというこの発言は真実なのか、それとも佐川氏の意見表明(希望的観測)なのか。なにしろ公的文書を改ざんしたとされる組織の中枢にいた人物である。発言が証明されていない段階では、本当に事実なのか、疑われても仕方あるまい。また、たとえ首相や大臣の実際の改ざんの指示がなかったとしても*3、それは本質的な問題ではないし、安倍首相や麻生大臣の責任が免罪されるわけでもない。いずれにせよ、こうした人物を高く評価してきた首相も大臣もトップとしての責任から逃れるわけにはいかない。


 さてこの証人喚問を見てのわたしの印象は、安倍晋三首相の具体的・個別的指示はなくても*4、すでに安倍首相のために動く体制、安倍首相の政権を守る体制が確固としてつくられているということだ。
 現体制は、小選挙区制と内閣人事局によって、安倍晋三首相にたてつかずに安倍首相を守れば厚遇され、安倍首相にたてついて安倍首相を守らなければ冷遇される体制になっている。そのことは、前川喜平氏や籠池泰典氏の、その後の扱いをみれば明らかだ。
 是々非々はおろか、あることもないことにするとなれば、これはファッショ体質というべきものであろう。政治家も役人も、物言えば唇寒しというファッショ的環境のもとで仕事をしているというのが、事態の本質ではないか。


 人は、本当の窮地に陥ったとき、悔い改めることがある。
 しかしながら今回の両院の証人喚問を見る限り、佐川氏は、みずからの過ちを悔い改め、事実にひざまずいて、政治によって行政がゆがめられることにたいして矜恃を示そうとするようなタイプではなさそうだ。
 それは、野党議員*5の質問で、現場に「確認」したが交渉過程の記録は廃棄したと1年前に国会で述べた自らの発言が、じつは事実にもとづくものではなく、そうしてよいという「文書管理規定」を「確認」したと今回の証人喚問で言い直したことに象徴的にあらわれていた。
 つまりこれは、文書改ざんを心から反省し、悔い改めようとする姿勢ではなく、むしろ隠蔽しようとする態度と言われても仕方あるまい。


 政権与党を守るために官僚がはたらくのは、ある意味、当たり前である。
 問題は、守るに値する政権なのかどうかということ、どのような仕事をするのか、にある。
 役人の仕事は(政治家の仕事もそうだが)、憲法を遵守し、原理原則にもとづいて、国民のために、是々非々でやらなければならない。そうした姿勢で仕事をしているか否か、である。


 常に大切なことは、「内容」と「段取り」である。
 森友学園問題も加計学園問題も、公的教育機関である学校をつくろうとする際に、お友達や考え方(思想)*6が同じ人物にたいする利益誘導ではないかという疑念がいまだに払拭されていない。森友学園では、国有地という国民の財産をただ同然で売り払ったのではないかという疑念。国民の側ではなく、官邸の要望を意識せざるをえない忖度がはたらいたのではないかという疑念。とどのつまり国政の私物化ではないかという疑念だ。


 同様に、段取りも問題だ。
 今回、財務省・理財局の公的文書の改ざんで、たくさんの削除箇所とともに総理夫人の名前を消した。
 安倍首相は、自分も夫人も、関与もしていないし、指示もしていないと強弁するが*7、事実は、そもそも公的文書に書き込まれるような行為自体を慎むべきだし、役人も、不正な利益誘導と勘ぐられないように、距離感をもって対応すべきだ。いい土地ですから前に進めてくださいという首相夫人の接近は役人側からすればそもそも迷惑な話だが、首相夫人の接触があれば、役人のトップは、原則を守って利益誘導と勘ぐられないよう注意せよと現場に指示するか、あるいは、この案件は首相案件あるいは首相夫人案件だから、特別扱いしろと指示するか、いずれかの選択肢をとるしかないではないか。*8


 今回、官邸の指示を明確に否定した佐川氏。
 それならば、それを否定する根拠が必要となるのに、佐川氏の答弁は、政治家の関与は一切ございませんと繰り返すばかり。
 政治案件と思える森友学園の事案を、事務的な案件と強弁し、官邸と官僚との連携で、組織的につくられているはずのものと思われるのに、関与を否定した。
 組織であるなら、関与(報告・連絡・相談)は、ある方が普通だ。ところが、関与を否定する論拠を示すことのないばかりか、驚くべきことに、森友学園の件について前任者である迫田理財局長から引き継ぎもしていないし、首相夫人の関与を否定する根拠について、スタッフに聞いていないが首相夫人の関与はなかったと佐川氏は断言した。官僚として上り詰めた組織人としての佐川氏が、森本学園事案の本質をつかむことにおいて、はずすはずがない。
 こうした話を信じろというほうが土台無理である。


 今回、佐川氏は、官僚としての能力の高さを示して、証人喚問をやり過ごしたかにみえる*9。役回りを完璧にこなしたかにみえる。
 だが、その結果、逆に、佐川氏と政権与党の意図がまるごと透けて見えてしまったのではないか。


 「安倍一強」体制において、大切なことは、原理原則や是々非々ではなく、さらには、事実であるか否かでもなく、安倍首相に忠実か否かという、お墨つきが重要であるようだ。
 しかし、重要なことは、真実にある。
 権力者に忠誠を誓って頂戴するお墨つきにあるわけではない。

 ダメなものはダメときちんと批判できるのが、真の仲間というものだ。
 そもそも佐川氏は、迫田氏が扱った事案を引き継いだ理財局長だ。その役割はそれほど大きいとはいえない。
 安倍首相と麻生副総理は、佐川氏だけでなく、多くのイエスマンに支えられているのだろう。
 それは国民にとって何を意味するのか。


 安倍政権は、やるべきことをやらず、やらなくてよいことをやろうとするアベコベ政権である。さらには、事実をねじまげ、あったことをなかったことにするアベコベ政権である。迫田英典元理財局長、元総理大臣夫人付の谷査恵子氏、そして、安倍昭恵夫人の証人喚問にすら応じようとしない安倍政権は、改ざん隠ぺい内閣と言われても仕方あるまい。


 組織とは、下から報告を上に上げていくものだ。俗にいう、報告・連絡・相談(ほうれんそう)は、組織のイロハである。官僚組織も、下から上がってきた報告にもとづいて上が判断する構造であろう。改ざんしたり、隠ぺいするようなことがあるならば、それは、常識的に考えて、上の判断によるものだ。けれども、佐川氏は、上からの関与を明確に否定し、関与の範囲を「財務省理財局」の中でおこなわれたと明確に限定した*10
 権力者に忠誠を誓うというお墨つきのほうが、真実よりも、重要なのだろう。

 冒頭で述べたように、国会を見渡すに、改ざん文書での議論をもとにした不公正・不公平なものと言わざるをえない。安倍政権は、国会冒涜・国民冒涜の改ざん内閣と言うほかない。
 こんな内閣には、もはや総辞職してもらうほかない。

 政治も行政も任せられない人たちに政治と行政を任せていると言わざるをえない。
 それは国民にとって不幸以外のなにものでもない。

 あべこべ内閣の改ざん・隠ぺい政権が、いま一番恐れているのは、その己の姿が暴露されることだろう。
 これだけ無理に無理を重ねている政治状況である。
 危機管理として、これで、おさまるとは思えないし、おさめてはならない。

*1:歴史や事実を歪める行為であり、後世の歴史に残る事件と思っているが、佐川氏の証人喚問をおえたのちの印象は、こうした「改ざん」も恐れぬあべこべ政権という印象をぬぐうことができない。改ざんや隠蔽は他にもあるのではないかという疑念が払拭できる政権とは言い難い。

*2:3月30日付「週刊金曜日」p.16

*3:指示がなくとも、みずから申し出て相談後に、そのようにしておこうと示し合わせることもあるだろう。

*4:具体的に、あったとしても、なかったとしても、別に驚かない。首相と佐川氏の間に意思が伝わる組織的系列があるだろうから。互いの意思は確実に通じているということが本質だ。下手な時代劇にある「おぬしも悪よのう」というあれである。首相や大臣から実際の直接指示があったかないかは本質的問題ではない。

*5:宮本岳志議員(共産党)による質問。

*6:教育勅語を礼讃する教育に肩入れすること自体が問題である。籠池理事長が「松井一郎知事にはしごと外された」と参議院の証人喚問で答弁をしているように、日本維新の会とのつながりも指摘されている。橋下徹氏は、森友学園の府認可めぐって「僕の失態」 と、私学審制度の不備を認めている。2017年3月23日、ウソをついているのではないかと人格が問題視されている首相が、道徳教育に積極的なのは噴飯ものだ。

*7:籠池理事長のいう昭恵夫人を介しての安倍晋三からの寄付とされる100万円はどうなっているのか。

*8:それで、原理原則にもとずく仕事が歪められてきたのが、森友学園問題・加計学園問題といえるのだろう。それは安倍内閣イエスマンばかりの体質となってきているからなのだろう。

*9:これには丸川自民党議員の誘導尋問や公明党議員も手伝っていたと言わざるをえない。

*10:あべこべ政権では、佐川氏がこれほどまでに、理財局内を強調すればするほど、理財局だけでやったとは考えにくい。ほうれんそうなく、一部の人間がやったとは考えにくい。