「作詞家のなかにし礼さんが死去 「北酒場」、直木賞受賞」

f:id:amamu:20051228113104j:plain

以下、朝日新聞デジタル版(2020/12/25 9:17)から。

 「恋のフーガ」「北酒場」などのヒット曲を手がけた作詞家で、直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい、本名中西禮三〈なかにし・れいぞう〉)さんが23日午前4時24分、心筋梗塞(こうそく)のため東京都内の病院で死去した。82歳だった。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻中西由利子さん。

 1938年、中国の黒竜江省(旧満州)で生まれ、戦後、日本に引き揚げた。20歳でシャンソンの訳詞を始め、25歳の時、新婚旅行先の静岡・下田で出会った石原裕次郎の勧めで作詞家に転向。66年の「涙と雨にぬれて」で作詞家デビューした。

 その後、「恋の奴隷」「時には娼婦(しょうふ)のように」「石狩挽歌(ばんか)」「AMBITIOUS JAPAN!」など数々のヒット曲を生み出した。68年に黛ジュンの「天使の誘惑」、70年に菅原洋一の「今日でお別れ」、82年に細川たかしの「北酒場」が、それぞれ日本レコード大賞を受賞した。作詞家としての遺作となった今年2月発売の氷川きよし「母」日本レコード大賞優秀作品賞に選ばれた。訳詞を含めると手がけた曲は4千曲に上る。

 90年代に入ると作家活動を本格化させ、2000年に「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞したほか、満州からの引き揚げ体験を元に描いた「赤い月」や、自伝的小説「兄弟」などで話題を集めた。02年の「てるてる坊主の照子さん」は、NHK朝の連続テレビ小説てるてる家族」の原作となった。テレビのコメンテーターとしても活躍していた。

 「日本という国家に3回見捨てられた」という壮絶な引き揚げ体験を作品やメディア、講演で語り、平和や反核への強い思いを訴え続けた。

 12年に食道がんが判明し、治療に専念するため、一時活動を休止。陽子線治療で克服したが、15年にがんの再発を公表した。若い頃からの持病だった心臓疾患が悪化し、今年11月に入院していた。

 細川たかしさんは「また一人昭和の偉人が亡くなってしまい残念でなりません。天国でゆっくりお休み下さいと祈るばかりです。先生本当にありがとうございました」とコメントを出した。

 「時には……」を歌った黒沢年雄さんは、この日、自身のブログで「大恩人の礼さんが…! 頭が混乱して…言葉が出ない…。中村泰士さん…なかにし礼さん… 次次と昭和の偉人が去って逝く…」(原文ママ)などとつづった。