David Byrne のコンサート映画 "American Utopia"(2020年)。
そのSoundtrackからの一曲"Everybody's Coming to My House"は、アルバム"American Utopia"(2018年)からの一曲。
みんなが 「俺の家」 (my house) にやってきて、だから淋しくないのだけれど、帰ろうとしない。
これは、普通に解釈して、帰ろうとしない連中を歌った唄なのだろうか。
それにしても、"I wih I was a camera"(「カメラになりたい」)、"I wish I was a postcard"(「ポストカードになりたい」)と、冒頭からしてバーンらしくわかりにくい。
いずれにしても、「みんなが 俺の家 (my house) にやってきて、だから淋しくないんだけれど、帰ろうとしない」というのが普通の解釈だとすれば、次は私の解釈。
みんなが 俺の家という建物 (my house) にやってきて帰ろうとしない。ここで歌っている 「みんな」とは「旅人」(tourists)のことをいい、「俺の家」という「建物」 (my house) とは、アメリカ合州国のことを言っているのではないか。
"Everybody's Coming to My House"の歌詞においても、建物としての家(house) と 家庭 (home)が登場している。
私の解釈に従えば、'house'が仮にアメリカ合州国であるとすれば、'home'は「生まれ故郷」、すなわち「旅人」(移民)たちがあとにした「祖国」ということになるのだろう。
映画「アメリカンユートピア」の中のバーンのMCで、同じ歌詞で同じメロディなのに、デトロイトの高校生が歌っているバージョンは自分のバージョンよりも寛容精神がはたらいていて包容力がある。自分のバージョンは高校生バージョンとはニュアンスが違っていて、帰ってもらいたい雰囲気があるが、自分はこんな暗い性格だから仕方がない。ステージのお客さんたちには自分のバージョンを聞いていただくほかないというMCが笑いを誘っていた。
その意味するところは、「アメリカ合州国」という「建物」(house)は果たして「家庭的な家」(home)になりうるのか、ということなのではないか。
以上、この解釈を支持してくれる証拠がないかと、インターネットで少し調べてみたのだけれど、俺の解釈を支持してくれるような証拠は見当たらなかった。
やはり、みんなが家にやってきて、だから淋しくないんだけれど、帰ろうとしないということを歌った唄なのだろうか。
ただ、"Everybody's Coming to My House"を歌う前に、David Byrneは「彼ら(移民)がいなければどうにもならない」とMCで言ってるので、俺の解釈はそれほどずれてはいないと思うのだが。
さて、すでに3年以上も前になるが、The Late Show with Stephen Colbertで"Everybody's Coming to My House"の演奏をしている。その映像をYouTubeで見ることができる。別のThe Late Showで観たのだが、司会者のStephen Colbertは学生時代にTalking Headsの大ファンだったという。彼も参加してのレイトショーでの"Everybody's Coming to My House"の面白いパフォーマンスを観ることができる。
David Byrne Performs 'Everybody's Coming To My House' - Bing video