Sly and the Family Stone の "Everyday People" (1968)

 以下、ドキュメンタリー映画「サマーオブソウル」の公式予告編。

www.youtube.com

  現在、公開されている1969年のニューヨークのハーレム文化祭をもとにしたドキュメンタリー映画「サマーオブソウル」。

 当時のそのニューヨークのハーレム文化祭で  "Everyday People"を演奏しているSly and the Family Stone の姿が「サマーオブソウル」に映し出される。このSly and the Family Stone  の" Everyday People"は、1968年にリリースされたシングル盤のサイドAに収録されている。カップリングのサイドBは、”Sing a Simple Song”で、こちらもハーレム文化祭で演奏されていた*1

 "Everyday People"は、1968年にシングル盤で出されたのち、アルバム"Stand!"(1969)、さらに"Sly & The Family Stone"(1970)に収録されている。

 ちなみにウッドストックでも"Everyday People"を演奏している。

 シングル盤で出された"Thank You (Falettinme Be Mice Elf Again)” (1969)は、それまでのヒット曲のフレーズが多用されているが、"Everyday People"というフレーズも使われている。

 また、"Everyday People"は、アレサ・フランクリンやステイプルシンガーズなど、さまざまなアーティストがカバーしている。

 以下は、Wikipedia

en.wikipedia.org

 

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"Stand!"(1969)

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Sly & The Family Stone Greatest Hits



 "Everyday People"とは、ordinary peopleの意味である。

 英語の歌詞を訳そうと思うと、簡単な歌詞でもむずかしいのだが、すこしやってみる。

Sometimes I'm right and I can be wrong
My own beliefs are in my song
The butcher, the banker, the drummer and then
Makes no difference what group I'm in
I am everyday people, yeah yeah

(拙訳)

俺だってときどきは正しいこともあるし 間違えることだってある

俺の信条は俺の唄に書いてある

肉屋、銀行家、ドラマー、それで

違いなどない  どのグループに俺がいるにしても

俺はどこにでもいるみんなと同じ  普通のやつ そうさ そうだよ

 

There is a blue one who can't accept the green one
For living with a fat one trying to be a skinny one
And different strokes for different folks
And so on and so on and scooby dooby doo-bee
Oh sha sha - we got to live together

(拙訳)

グリーンのやつを受け入れないブルーのやつがいる

やせようとしている太った人と生きるのだから

十人十色  人はそれぞれ 

などなど 続いてきりがない スク―ビードゥービードゥービー シャッシャッ(くだらない)

俺たちは共に生きていかないといけない

 格差や分断を象徴する材料に過ぎないのだろうが、green one や blue one が何を意味しているのかよくわからない。

 色象徴(カラー・シンボリズム)*2というのがあるけれど、それらを参照してもピンとくるものがない。

 もちろんブルーは、ブルーズからのイメージで悲しみのイメージがある。また事務労働と対比させてブルーカラー(blue-collar)という肉体労働者をあらわすコトバも英語にはある。

    グリーンには、もちろん環境のイメージがあり、またgreen dollar billsといって、ドル紙幣が緑色ということから、グリーンにはお金のイメージもある。

 だから、green one を金持ち、blue one を肉体労働者と訳してもよいのだが、あとに金持ちと貧乏人と出てくるので、ここでは、そこまで訳すことはしなかった。

 "different strokes for different folks"は、比較的よく知られているイディオム。辞書を調べれば、「十人十色」なんていう訳が出てくる。

 ただ"folks"は、「みなさん」「人々」のことを言っているのだが、このstrokesがわかりにくいだろう。ただ、strokeは「脳卒中「一撃」「ひとかき」「一筆」など、多義語で、水泳のストロークが日本人にはイメージしやすいだろう。つまり、「人によってひとかきの動きが違う」という意味になる。"different strokes for different folks"のニュアンスをつかみたいところだ。

 「スク―ビー・ドゥー」(Scooby-Do, Where Are You!)とは、1969年制作のアメリカのアニメの犬の名前だが、それと関係しているのかどうかはわからない。sha-shaもふくめて、くだらないと言っているのだろう。

I am no better and neither are you
We are the same whatever we do
You love me you hate me you know me and then
You can't figure out the bag l'm in
I am everyday people, yeah yeah

(拙訳)

俺は人よりましじゃないし お前さんもそう 人よりましじゃない

俺たちは大差ない 何をしようと 

お前は俺を愛し 憎み 知っても

お前さんには俺のさだめなどわからない

俺はどこにでもいるみんなと同じ 普通のやつ そうさ

 "You can't figure out the bag I'm in"のfigure outは「わかる」「解く」という意味でよく使われる口語なのだが、ここでいうbagがよくわからない。

 簡単なコトバなのに、いくつか辞書を調べてもわからない。

 「おまえさんにはわからないだろう、おれが入っている「バッグ」「袋」は」ということなのだろうけど。

 ネットで調べても"Everybody's Talkin'"で有名なFreddy Neilに、"That's the Bag I'm In"という題名の唄があることを初めて知った*3。"That's the Bag I'm In"が収録されているアルバム"Fred Neil"*4は1966年にリリースされたものだから、ひょっとすると、スライはそこからとっているのかもしれない。DJ時代のスライはビートルズボブ・ディランもかけていたというから、あながち見当違いでないかもしれない。聞いてみると、「状況」「さだめ」「運命」ほどのニュアンスという印象をもったが、辞書やオンライン辞書で裏をとれなかったので全く自信がない。

 こうした簡単なコトバがわからないときがもっとも困る。

There is a long hair that doesn't like the short hair
For bein' such a rich one that will not help the poor one
And different strokes for different folks
And so on and so on and scooby dooby doo-bee
Oh sha sha-we got to live together

(拙訳)

ショートヘアーが嫌いなロングヘア―の人もいる

貧乏人を助けようとしない金持ちだから

そして 十人十色  人はそれぞれ 

などなど 続いてきりがない スク―ビードゥービードゥービー シャッシャッ(くだらない)

俺たちはいっしょに生きていかないといけない

 

There is a yellow one that won't accept the black one
That won't accept the red one that won't accept the white one
And different strokes for different folks

And so on and so on and scooby dooby doo-bee

Oh sha sha-I am everyday people

(拙訳)

黒い人を受け入れない黄色い人

それが赤い人を受け入れず またそれが白い人を受け入れない

そして 人はそれぞれ 十人十色

などなど きりがない スク―ビードゥービードゥービー シャッシャッ(くだらない)

俺はどこにでもいるみんなと同じ 普通のやつ

 もちろん、yellow oneは黄色人種。black oneは黒人。red oneはネイティブ・アメリカン。white oneは白人をさしているのだろう。

 日本語では、修飾する語と修飾される語との関係は、修飾される語が修飾される語の前に置かれる。英語では、短い形容詞くらいなら日本語と同じように前に置かれるのだが、学校で習うであろう関係代名詞などを用いて長い修飾語句を用いる場合は、修飾される語の後に置かれるのが文法的なルールになっている。

 "There is a yellow one that won't accept the black one
 That won't accept the red one that won't accept the white one"

 ここの yellow one that... the black one That...the red one that...が後置修飾の例になる。

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、最後に、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と長い修飾語のすえに結論が来るのだが、日本語の特徴をおさえた修飾・被修飾の好例といえる*5。また谷川俊太郎の「これはのみのぴこ」も日本語の修飾・被修飾の好例と言える。

 以下、"Everyday People"のYouTube

www.bing.com

 2021年にはアニメーションバージョンが出たようだ。

 以下は、2021年度のアニメーション版。

www.culturesonar.com

 

 以下は、Playing for Change 版の "Everyday People"。

 "Everyday People"が、今日うたうべき唄のひとつであることがわかる。

www.bing.com