「リマスター:サム・クック」(“The Two Killings of Sam Cooke”)を観た

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 NetflixSam Cookeの「リマスター:サム・クック」(“The Two Killings of Sam Cooke”)を観た。2019年、1時間14分の作品。

 公民権運動の代表歌のひとつとなった“A Change is Gonna Come”(1964)で有名なサム・クックは1931年ミシシッピ生まれ。幼いころシカゴに移住。牧師の父のもとでゴスペルシンガーとなった。

 宗教音楽に対して、一般的・世俗的な音楽をSecular musicという。悪意をもっていえば、God’s Music(神の音楽)に対してDevil’s Music(悪魔の音楽)ということになる。

 サム・クックは、ゴスペルのソウルスターラーズの人気歌手となる。

 白人女性に対して口笛を吹いたことで殺された14歳のアフリカ系アメリカ人。1955年のエメット・ティル撲殺事件にも大きなショックを受ける。公民権運動が盛んになる前のことだ。

 南部育ちのエルビス・プレスリーは、白人でありながら、黒人音楽に育てられ、黒人文化に敬意を示した。プレスリーはLloyd PriceのR&B “Lawdy、Miss Clawdy”(1952)もカバーした。サム・クックは、黒人でありながら、白人層の聴衆も獲得した歌手だった。

 1957年にソロ歌手としてR&Bに転向し“You Send Me”(1957)のヒットを飛ばす。

 シカゴ育ちのサム・クックは、南部でのツアーで差別を痛感する。

 黒人歌手のサム・クックを使うならとKKKがスタジオ爆破をDick Clarkの番組に予告。映画の中で紹介されるディオンヌ・ワーウィックとの南部ツアーでのエピソードも興味深い。1960年2月のアーカンソージェシー・ベルヴィンの自動車事故死は、切り裂かれたタイヤによる嫌がらせによるものだった。

 1961年5月、サム・クックは、聴衆を人種隔離するメンフィス公会堂(segregated audience)での演奏を拒否。

 ニーナ・シモンの”Mississippi Goddam”(ミシシッピくそくらえ)は、エメット・ティル事件やメドガー・エヴァーズ事件などから生まれた(1964年)。

 “Chain Gang” 白人社会と黒人社会とでは解釈が違うという解説も興味深い。

 James Baldwinを愛読したサム・クック

 Muhammad Ali、Malcolm X、黒人フットボール選手のJim BrownたちとSam Cookeとの交流と連帯は必然であったろう。

 アフロヘア―もサム・クックがパイオニアの一人。このあたりは、本多勝一著「アメリカ合州国」(1970年)が参考になるだろう。

 そして“A Change is Gonna Come”(1964)。

 以前にも書いたように、「Peter Guralnick(ピーター・グラルニック)によれば、Sam Cookeの"A Change Is Gonna Come"は、3つの出来事からつくられたという。

 ひとつは、1963年5月、座り込み(シットイン)中の抗議学生から話を聞いたこと、ボブ・ディランの"Bowin' In the Wind(風に吹かれて)"を聞いて白人がこういう大事な唄が書けるのなら自分も書くべきだと思ったこと、そして、1963年10月、人種隔離政策期のルイジアナのホリディインホテルに泊まろうとして自分自身が逮捕されたこと、さらには同年、マーチン・ルーサー・キングジュニアが”I Have a Dream(私には夢がある)”というスピーチをおこなったこと。

 こうしてサム・クックは、1963年12月21日、ロサンゼルスのRCAスタジオで、教会以外で聞くことのできない公民権運動の講話を物悲しく歌ったのだ。

 The Bandの"Moondog Matinee"(1973)のヴァージョンもぜひ聞いてほしい。The Bandのヴァージョンのリードボーカルは、Rick Danko*1。」

 サム・クックは、33歳で、ロサンゼルスで不可解な死を遂げた。本作のタイトル“The Two Killings of Sam Cooke”は、サム・クックの肉体的死とサム・クックの名誉・人格の死との二重殺人を扱っている。

*1:The Band のヴァージョンは、Sam Cooke の原曲の2番が省かれている。"I go to the movie and I go downtown / Somebody keep telling me don't hang around" この箇所の歌詞は明確に黒人差別を歌っているため、当時の白人社会の価値観からすれば、物議を醸しだし問題となる歌詞だった。The Bandがこの箇所を歌わなかったのは別の理由だと推測されるが、留意しなければならない点である。