再度店に行くと、例のもみあげの男が、先ほどは混乱(confused)していた、申し訳ない、店も忙しかったし、もう一度再交渉したいと切り出す。若い男は向こうを向いて黙ってにやついているだけである。もみあげ男が、もうgameはごめんだぜと言う。それはこっちの台詞だと言い返す。先ほど、確認のためにテレビ会社に電話してみたら、125ドルが正式な値段なので、あらためて125ドルでチェックを切ってくれという。
159ドルから30ドル引いて129ドル。125ドルは、その額を少し下げた値段だ。このテレビの相場はおそらく80ドル台だろう。ここでNoということは可能である。日本でなら100%そうしただろう。95ドルにならぬ限り妥協はしなかっただろう。しかし、もうどうでも良かった。
ここは私にとって言葉の不自由な外国だ。向こうもまずいと判断したから、わざわざ私のコンドの電話番号を調べて電話をして再交渉に臨んだのだろう。しかし、闘い方も、見通しも、確実なものとしては私になかったし、何よりもこんなことに時間を取られることがバカバカしかった。実際は金が問題なのだが、金が問題じゃない、気持ちだという発想も手伝って、黙って同意する。情けないが、泣き寝入りである。
それではということで、再度クレジットカードを貸してくれという。前のチェックを破棄するのが先だと私が言うと、先ほどの原本に大きく×をした。それでは安心できないので、破くように指示すると、銀行に電話して、破かない方がよいと係が言っていると親分がいう。それなら無効(void)と書いてサインしろと言うと、もみあげの男は下手な字で無効と書いてサインをした。前のチェックが無効にしたことを確認して、125ドルで手をうった。サインをし終わると、なんと奴は握手を求めてきた。おまけに私の長期滞在に”Von Voyage!”と言う。呆れながらも、不平等条約を押しつけられた被抑圧民族の代表者になったような気持ちで、私は握手に応じざるをえなかった。