惨めな気持ちで

 今日、ニコラ、スーザンと一緒にブルーズコンサートに行く予定だったのだが、少し前に電話がありニューヨークから友達が来たとのことで一緒に行くことになったのだが、情けないことに、俺は途端に怖気づいた。
 英語を喋らねばという強迫観念に襲われてしまう。友達が来るならお邪魔だろうから行かないと言うと、「どうして」と当然にも尋ねられ、判然としないことしか言えない。結局行くことにしたのだが、どうも優柔不断でいけない。
 躁鬱な気分からどうも抜け出せない。いつまでも子どものようで困ったものだ。
 ブルーズコンサートから帰ってきたが、やはり初対面の人とはうまく行かない。相手がどんなことを欲しているのかわからないと、付き合いにくい。気楽に女の人と踊るということも俺は苦手だ。
 ただ帰りの車で、Steven Stillsの”What It’s Worth”*1がかかったので、これは南米革命について歌ったものなのか、尋ねた。
 いずれにしても、何か喋らければならないと思うと疲れる。異文化コミュニケーションは本当に難しい。
 ニコラとスーザンに悪いことをしたみたいで、惨めな気持ちだ。今夜は英語を一からやり直さなければならない気持ちになる。少しノイローゼ気味かもしれない。もっともやっと読めるようになった段階だから、当たり前なのだが。目標が高くなった分だけ、惨めな気持ちになる。再び、「聞けない」「話せない」状態に落ち込んでいる。多少読める感じはするが、それも錯覚か。健全な絶望感か。

*1:”What It’s Worth”の”Stop, hey what’s that sound. Everybody looks what’s going down.”という歌詞。