外国に行けるなんて思っていなかった

Modern Times

 「留学なさるそうですが、大丈夫ですか、英語?」。渡米前に、大学の友人(後輩)から、こんな手紙を受け取った。今でこそ、英語教師2年と半年の経験を積んだが、大学生活は英文科に所属しながらも全く英語を避けていた。大学に5年もいながら、英語とは無縁の生活をしていた。クラブ活動、教育問題・哲学学習などのゼミナール活動・文化運動に明け暮れ、英語から逃げていたからだ。英語が嫌いだったわけではない。高校時代は真面目に取り組んだものだ。けれども受験勉強の道具と化してしまった英語には知的興味も湧かず、年齢にふさわしくというべきか、英語の道のりの遠さから逃げ、社会問題に無知な自分に気づけば気づくほど、得意ではなかった社会科学を学んだ。受験勉強を始めとする自分の受けた教育にかなり不満をもっていた私は日本全国には偉大な教師も多くいることを教えられ、できれば教師になりたいと考え始めた。はっきり言って生活指導と教育問題が教師になる動機であるとすれば、私が教師になるとすれば英語の教師しかない。生徒に済まないと一方で思いながら、まず教師になることが先決と、あちこち受けてみたものの、どこも不合格。しかし、捨てる神あれば、拾う神あり、世の中結構できたもので、現在の職場が私を拾ってくれた。1979年のことだ。留学制度のあることを知り、俺は初めて外国に行けるという可能性を感じた。
 ところで外国旅行といえば、思い出すのは映画の若大将シリーズだ。

 60年代の若大将シリーズは、小学生だった俺の大好きだったもので、何故好きだったのか考えると、ちょうど時代の変わり目で、外国が射程距離に入ってきて、いわゆる「レジャー」が持ち込まれた頃であったからであろう。外国を駆け巡り、楽しむことのできる若大将は、私の要求の投影であり、あこがれだった。しかしながら、俺は一度も外国へ行ける、また行こうなどと考えたこともなかった。中学・高校時代は淡い期待もあった。しかしそれはあくまでも期待であって、実現できる可能性は生涯にわたってゼロ%と考えていた。しかし、どう転ぶかわからないのも人生だ。英語など、プラグマチックに考えれば、一生使わないかもしれない。英語など、学ぶこと自体が無駄だとも考えられる。しかしこれとても目先のことを考えなければどうなるかわからない。いつ必要になるかともわからないのである。プラグマチックに考えたとしても。
 外国に行くとなると、英語についても真剣に考え始める。生き残るための英語(Survival English)を学ばなければならない、私はまず、Listening修業から始めた。