希望を捨てず理想を語る教師を応援して下さい

 私は、24歳で、ある私立大学の附属高校で英語教師として採用されて以来、その附属校で、2年間の海外研修を含めなければ25年間英語を教えてきた。この学園の教師集団にいろいろと教えてもらい、育てられたから、私はこの学校で働き続けてこられたことに感謝もし、誇りにも思っている。この点に嘘偽りはないのだが、いま振り返って考えてみれば、一面では、誇りを傷つけられ、精神的にはいじめられてきた教師生活でもあった。そう、言えないこともない。
 それは、当の私立大学から「附属校生の学力は、もう少しなんとかならないものか」というお叱りを受けたり、生徒の「塾の先生の方が、教え方がうまい」とかいう、有言・無言の附属校の教育に対する圧力だったように思う。
 そうした中で、ときに生徒から、「先生は、塾の先生のようだ」とか、「先生の教え方は好きだ」と、生徒の感想で褒められたり、出版編集者からの私に対する評価などで、溜飲を下げたことがある。
 高校の現場で教えている教師なんて、普段そんなに褒められることなんてないから、もしこのブログを読んでいる方々で、いい教師に巡り合っていたら、是非その先生方を褒めて、応援してもらいたいものだ。いい先生は大体孤軍奮闘、よくても少数の良心的教師仲間として存在している。現在私が勤める学園のような素晴らしい教師集団を全体として抱える学校はますます少なくなってきている感じがしているから、これは是非ともお願いしたいところだ。
 ところで、「塾の先生のようだ」というのが褒めコトバというのは、現場の教師の悲しさを物語っているではないか。それも、塾なんて相手にしているつもりのない私のような教師が、そう言われて嬉しかったのだから、なんとも始末に終えない。
 ところで、「いい教師」を「応援してもらいたいものだ」と今書いたけれど、その「いい教師」の判断が違ってきているようだ。私のいう「いい教師」が、教育破壊的「教学改革」をすすめようとする反教育勢力から、抵抗勢力なんてレッテルを張られていたりするから、なんとも日本は絶望的だ。