「国際化」とは何か。よくわからない。
「”国際化”の名のもとに、政治、経済、社会のあらゆる力が動いている」(ダグラス・ラミス)というように、よくわからないコトバでいろいろな政策がすすめられることがあるから警戒が必要なのだ。
「”国際化”というのは日本の政界、財界の指導者たちが、世界において日本が経済的に有利な立場を維持するために仕組んだ実利的な戦略以外の何ものでもない。もしそれに文化的な効果があるとすれば、偶然に生じたものか第二義的なものでしかない」と、ダグラス・ラミス氏は「はじめに」で喝破されている。
こうしたことをふまえたうえで忘れてはならないことは…この二、三十年の間に、海外旅行が自由化され、輸出入は拡大し、日本企業が海外へ進出するなど、外国との文化交流が急激に増えたとはいっても、その規模の大きさ、歴史的重要性から見て、この二十世紀に日本が海外と交流をもった最も重要な時期は現在ではない、ということである。現在よりもはるかに重要な、朝鮮の強奪とそれに続く満州、中国への侵略、さらにその後の東南アジアや太平洋諸島への侵略があったではないか。これら一連の歴史的事件のさなかに驚くべき数の日本人が海外に渡り、そして何年、何十年もその地で生活したのである。果たしてこれは”国際化”だったのだろうか。また、今よりも重要な外国との接触があったのは、第二次世界大戦後日本がアメリカによって占領された時期である。おそらくこれも一種の強いられた一面的な”国際化”だと考えることができるだろう。つまり、アメリカに向かっている面だけの。
(p.9~p.10)
これからの国際化というものを考える際に、差別のないことを前提にして、人権や異なる文化を尊重しながら、例外なく、国内はもとより世界の人びとと仲良くすること。歴史的にいえば、ヨーロッパやアメリカの影響ではなく、脱亜入欧の精神を克服し、むしろ近い隣人である国々との関係を修正することから始めなければならないことは明らかであろう。