ロトルア湖畔のオヒネムツを訪れる

 町の中心にもどり、観光案内所で、ハミルトン行きのバスの予約をする。
ロトルア湖の周辺を再度歩く。この公園の周辺は市民の憩いの場所になっていて雰囲気がよい。野鳥はたくさんいるし、小さなものだが、子どもを馬に乗せる特設会場を設けたりしている。子どもがたくさん遊んでいるのを見ると、ロトルアは子どもを育てるにはいい環境ではないかと思う。
 ロトルア湖畔にあるオヒネムツ(Ohinemutu)のマオリ村に行く。このオヒネムツはいわゆる観光地ではないので、案内板などほとんどなく、言われなければ通り過ぎてしまうほどの場所にひっそりと佇んでいる。歴史的なマラエ(Tamatekapua Meeting House)とマオリの教会(St Faith’s Anglican Church)を訪ねようとしたのだが、市民に聞いてもよくわからないほどであった。
 このマラエは1887年に建てられ、アラワのカヌーのキャプテンから名づけられたという。アラワのマオリにとって重要なマラエである。私が訪ねたときにも、集まりをもっていた。梶谷氏によれば、マラエとは、神の身体を模して作られ、赤・黒・白のマオリカラーを基調としてつくられる建物で、「家族や親族、そして祖先とのつながりを確認するための神聖な空間で、すべてのマオリは出身部族などによってどのマラエに所属するかが決まっている」という。「冠婚葬祭のほか、さまざまな行事を執り行う場として欠かすことのできない場所」なのである*1
 このマラエの反対側に、ロトルア湖に面して、歴史的な教会が建っている。教会の内部はマオリの彫り物でインテリアがほどこされ、ステンドグラスには、マオリの衣装を着たキリストのエッチングがあり、これがまるでロトルア湖を歩いているように見えるので有名だそうだ。ヨーロッパのキリスト教。イギリスは世界のどの地を殖民する際にも、持参し、押しつけたものがキリスト教と彼らの法律であった。個人を基礎におく西洋的価値観と、マオリの宗教・神話とではまるで違っていただろうと想像する。キリスト教にとっては、神はひとつの神であり、自然界の木々や草花や小川に神が宿っているというマオリの観念は異教に過ぎない。しかし、19世紀前半、マオリの中には集団洗礼を受けたものも少なくないという。マオリにとってキリスト教とは、ヨーロッパの進んだ技術や知識と表裏一体のものであったからだという*2
 オヒネムツには観光客は二三人しかいなかった。ここでも湯気をもうもうとさせている井戸ほどの大きさの温泉があった。

*1:先住民族マオリ復権と未来」梶谷早栄 『ニュージーランド―キウイたちの自然派ライフ (ワールド・カルチャーガイド)

*2:ニュージーランド先住民マオリの人権と文化 (世界人権問題叢書)」平松紘 他(明石書店)2000年 とくに「第5章マオリの宗教と法」参照のこと。今回の旅行後に一読したが、マオリ関係では労作のひとつであろう。