突然ですが、アメリカ合州国を再訪します

オークランド国際空港

 ニュージーランドマオリ土地戦争のフィールドワーク中なのだが、ある事情があって、急遽アメリカ合州国を訪れることにした。
 英米というイギリス語圏では、どちらかといえば私はアメリカ合州国の方に親しみを感じていた。
 数あるイギリス語圏の中で、イングランド(England)はいわば本家本元。インドランドは、まさにイギリス語発祥の地だから、よくぞこれほどまでにイギリス語圏を広めたものだと「敬意」を表して、イングランドを訪れるのは最後まで大事に取っておこうと考え、お隣のアイルランドへは家族旅行すらしたことがあるのに、イングランドにはまだ一度も行ったことがない。アイルランド旅行の際にも、ヒースロー空港でストップオーバーしただけで、すぐに乗換えをして、アイルランドのコーク空港から旅を始めたほどだ。切符を手配してもらった旅行業者にも「イギリスは全く寄らないんですか」と呆れられたくらいだ。
 残念ながら、スコットランド(Scotland)へも未だ訪れたことがないのだが、イギリス(UK)や大ブリテン島に行くとしたら、ロンドンでなしに、エジンバラ(Edinburgh)にまず行きたいと私は考えている。この気持ちには、未だにイギリス語がなかなかモノにならない長年の私の怨念のようなものも加味されている。
 かけだし英語教師のときに、あまりにもイギリス語ができないものだから研修に行ってもよいと職場から言われた際に、合州国のウェストコーストサウンドばかりを聞きこんでいた私は、迷わずカリフォルニアはサンフランシスコに決めた。ウェストコーストサウンドという音楽に、なんというのか、「自由」を感じていたからだ。それが「抵抗」という枠内の「自由」であったにしてもである。
 イギリスに対して私には偏見があって、そもそも確固たる格式や権威があるようなところは好きではない。だから、どうせ研修に行くなら、イギリスではなしにアメリカ合州国と決めていた。
 いろいろな問題があるにせよ、イギリスの権威に抵抗し、独立宣言を高らかに掲げた自由と民主主義の国。個人の自由を重んじる国。楽しむことを善と思う生活の質の高い国。
 正直にいえば、私はアメリカ文化びいきだったのだ。
 判断に迷いは全くなかった。これには、戦後の日韓米の体制下で生まれ育ったということも大きく手伝っているだろう。政治的にも、文化的にも、経済的にも、そして軍事的にも、日韓米の関係性は親密である。その昔、ビデオの録画システムも、日韓米は同じシステムなのにイギリス系はPAL方式ということを知って、私はため息をついたこともある。*1
 そうした経緯で、1980年に生まれて始めて日本を離れ、サンフランシスコに6ヶ月住んでバークレーの英語集中講座に通った。
 私の期待に合致して、英語集中講座では、アメリカ英語を学ぶことができたし、*2サンフランシスコはライブハウスの宝庫だったし、それなりの自由も感じることができた。*3
 残りの3ヶ月は、切れ切れに、あるいはまとめてアメリカ合州国の各都市を、グレイハウンドバスで回る旅をしたのだった。
 グレイハウンドによる地べたをはいまわる旅なんて、今なら怖くてできたもんじゃないけれど、私も若く、コミュニケーションが取れない分、したがって実情を知らない分だけ、無鉄砲であった。そうして、私は、ラスベガス、アルバカーキー、エルパソサンアントニオニューオリンズナッシュビル、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDC、シカゴ、オマハ、ロサンゼルスなどの各地を訪れた。
 その後は、仕事に家庭に多忙で、旅どころではなかったが、1992年に、思い切って合州国の西部をパートナーと一緒に自動車で周遊する旅をした。合州国大自然ネイティブアメリカンの文化を知る旅だったが、当時、夢中になって電子メールで交流していた合州国の高校教師や小学校教師たちに会うというのを口実にした旅でもあった。
 けれども、それ以来、娘と一緒にハワイ島を訪れたことはあったが、アメリカ合州国を長期に訪れようとする気持ちは少しずつ私の中で冷めてきていた。
 英語教師でありながら、イギリスにもアメリカ合州国にも、興味が薄れていくというのは困ったものだが、その理由は、なんといっても両国の好戦性にある。そして、その反動として、安全性や治安に対する不信感にある。
 一言でいえば、合州国は、あのベトナム戦争から何を教訓として学んだのかという思いである*4。「英米の時代はそろそろやめにしませんか」というのが今の私の率直な気持ちなのだが、それに加えて最近はおっちょこちょいの日本までが加わる始末。日本って、俺の祖国じゃないかと、呆れる気持ちを抑えきれないでいる。
 イギリスもアメリカ合州国も日本もそれぞれ素晴らしいところを持っているのに、英米、それに日本も加わって世界に迷惑をかけているこの状態は、何とかならないものなのか。
 そもそも武力ではなく、コトバでもって解決できないものなのか。そういえば、俺はコトバの教師ではなかったか。
 ということで、以前は、単なる「田舎」としか思っていなかったオーストラリアやとりわけニュージーランドって、素晴らしいものを持っているんじゃないかと、うんと再評価をして、勉強し直しているところなのである*5
 正直言って、イラク戦争のようなことを続けていたら、旅行者という点でも、イギリスやアメリカ合州国は客を失うと思う。
 今回職場から再度研修に行ってよいという許可をいただいた際に、アメリカ合州国の南部再訪には魅力を感じていたが、基本的にアメリカ合州国よりも、むしろオセアニア、とくに非核政策を保持し独自路線を歩み、市民政治意識の高いであろうニュージーランドか、イギリスにいじめられ、いまだに偏見がぬぐいさられることのないアイルランドでの滞在の方に魅力を感じるようになっていた。*6
 単に年齢を重ね、都会よりも田舎を好むようになったということもあるだろう。しかし、その昔、アメリカ合州国に私が感じた「自由」・「民主主義」や市民政治のレベルの高さ、「生活の質の高さ」ならば、「田舎」とバカにされているニュージーランドの方が、むしろ高いのではないかと考え直し始めたということがある。

 いずれにせよ、再訪しようと思っていなかったアメリカ合州国の再訪である。
 正直に言うと、ニュージーランドのアクセント(訛り)というものが今ひとつわからないのだが、久しぶりにアメリカ合州国を訪れるならば、コトバの問題でもいろいろと発見ができるかもしれない。いずれにせよ、短期とはいえ、自分にとって貴重な体験になることと思う。
 ということで、今日旅立つことになったのだけれど、毎日更新してきたこの日記も多少途切れるかもしれない。
 それでは、気をつけて出かけてまいります。

*1:オーストラリアもニュージーランドもPAL方式である。電話回線なども同様にイギリス式である。

*2:当時、イギリス語でなしに、「アメリカ語」を学んでいるのだというような変な気負いもあって、選択講座名などにこの「アメリカ語」という用語を私は使用していた。

*3:合州国では、乞食になる「自由」も同時に感じた。80年代初頭のアメリカ合州国には物乞いが多かった。新宿でのホームレス問題など、日本は合州国の後を追っている。

*4:80年代初頭のサンフランシスコには、ベトナム戦争で負傷して手足の不自由なアメリカ人を街で結構見かけた。そうしたアメリカ人に対するバス乗車の際などの市民生活での配慮はかなりすすんでいた。

*5:私が初めてオーストラリアを訪れた際、杉本良夫氏の弁ではないが、アメリカ合州国の視点を基準にして、オーストラリアを擬似的な英語圏として観察していた。これも随分と失礼な話であるが、そうした視点からは現在、比較的自由になっている。

*6:今回諸事情からメルボルンのさる大学とブリズベンのさる大学への入学をキャンセルし、ニュージーランドのワイカト大学を選んだのだが、こうした選択は、普通、万人に理解されない選択であるということを充分わたし自身自覚しているつもりである。