みんなイギリスが育てた

 日本は、江戸時代の鎖国時代から、開国。そして明治維新は、蘭学から英学への転換でもあった。漢学にも深かった夏目漱石も、日本の知識人はみな、イギリス語の影響を受けた。
 これら諸先輩と自分を同列に置くわけにはいかないが、客観的な立場としては、私もサイズは小粒ながら、イギリス語と格闘してきた。その意味で、イギリス語が今の私を作り上げたと言ってもいい。それが大袈裟ならば、少なからず影響を受けてきたと言ってもよい。
 イギリスという国は、スコットランドウエールズアイルランド、カナダ、アメリカ合州国、オーストラリア、ニュージーランドという大英連邦(Commonwealth of Nations)を作りあげ、インドや香港をつくった。そしてアングロアメリカは、ハワイを併合し、フィリピンを作ったのだ。
 私はいいとか悪いとか言っているのではない。そうしたことが現実だと言っているのだ。
 けれども、そのことを批判的にみて、客観的に考えないといけない*1。イギリスが、夏目漱石シンガポール人も、インド人も、マオリも、私をもつくったのだ。だからイギリスが果たした影響、その功罪を今こそ考えないといけない。
 それは今日とても重要なことだ。
 そうしたことについて、日本はあまりにもモノを考えていなさ過ぎる。

*1:英語についての考察としては、最近の労作として、中村敬氏の「なぜ、「英語」が問題なのか?―英語の政治・社会論」(三元社)2004年を真っ先にあげなくてはならない。