アイリッシュのマイケルはとても頑張り屋で、朝の5時ごろに眼を覚ました。朝釣りということで、私も彼と一緒に出かけることにする。
釣り宿から歩いて5分程度で渓流に着いてしまうのだが、ウェダーをはきながらロッドやロッドのラインが小枝にひっかからないように歩くのに慣れていないので、少々やっかいだ。
そもそも私はこれまで釣りなどしたことがなく、仕掛けも自分でつくるという泊りがけの釣り合宿に一度だけ参加したことがあるくらいだ*1。
これはイカ釣りだったのだけれど、ヤリイカだったか、スルメイカだったか、イカの種類も忘れてしまったけれど、釣り船に乗っての海釣りだった。運悪く、相当なしけで、船頭さんが探知機を使って水深何メートルまで降ろしてくださいと言われては釣り糸を降ろしたのだけれど、さっぱり釣れず、寒いのと、ちょっとした船酔い気分も手伝って、最後は、もういいから岸辺に帰らせてと、心の中で叫んでいるような最悪の釣りだった。だから、このときは全く釣れず、みんなボウズだったのだけれど、それでも釣りができるような生活のゆとりを体験できて、それだけでも何とも嬉しかったという記憶がある。
私の場合、釣りのような遊びから私を遠ざけているものは、何と言っても日常の忙しさである。
そんな私だからこそ、釣りができるような余裕に憧れていたと言ってもいい。だから釣れても釣れなくても、いっこうに構わないのだが、仕掛けや釣り道具などは、魚にバカにされぬよう最低限、意味のあるものをそろえないといけないと考えていた。だから、私には釣りの講義が必要なのだ。
それにしても、元来釣りの素養がないこと、それに今回フライフィッシングの講義を受けていても母語でないというハンディもあるし、何と言っても最後の二回の授業はロサンゼルス行きのために参加できなかったことが痛い。
すでに講義を受けて教わっていたものの、私は糸の結び方も、フライの勉強も全くしていない全くのど素人に過ぎない。
だからマイケルとの朝釣りも、マイケルに手伝ってもらって、仕掛けをつくってもらう始末。ニュージーランドの「自分のことは自分でやる」精神からは全くの正反対。全くもって情けないが、自分のこともできない馬鹿者(bugger)*2なのであった。一言で言えば、釣り師とは全く呼べない釣り師なのであった。
ということで、今回も朝釣りの釣果はなし。