何が悲しいって、日本人が自然の遊びから遠ざかってしまったことではないか

 日本でも釣りをしている人、釣りで遊んでいる人は多いだろう。特に地方に住んでいるなら、近くの川や湖で遊んでいる人もいるだろう。けれど、都会の人間は、自然の中での遊びから随分遠ざかってしまっている。日本では、フィールドが本当に少なくなってしまっている。それが何と言っても悲しい。
 最近の新聞報道で、最近の子どもが勉強しなくなっているというけれど、面白いフィールドと面白い勉強がなくなってきているからではないのか。勉強しなくなってしまったことを、子どもだけのせいにするのは、全くのお門違いだ。子どもを非難する前に、どうして面白い体験や実際の見聞や交流することが少なくなってしまったのか、大人が反省しないといけない。
 大体、地学にしても、生物にしても、ニュージーランドにはとても面白いフィールドが少なくない。
 例えば、ワイオタプやワイマングーのように、そもそも理科に興味のない奴でも勉強したくなるようなフィールドがたくさんある。
 アレックスは、鳥のこと、魚のことなどよく知っているけれど、彼は、おそらく学校で勉強したわけでも、本で勉強したわけでもなさそうだ。彼の話は、実際の見聞と体験と、仲間との交流で得た知識からなっている*1
 その意味では、知恵と言った方がいいのかもしれない。そうした知恵だからこそ、彼の話はとても面白い。他人に聞かせるだけの内容を持っているのだ。
 日本の悲しいところは、内容が空疎なことである。たとえば、受験勉強をして得た知識を他人に話したにしても、聞かされた方は面白がるだろうか。私の観察では、日本は実に内容のない国になりつつあるのだ。
 ハムラナスプリングに向かっているときにフライフィッシングの講師のレイが言っていたけれど、15年前のロトルア湖周辺には家がそんなに建っていなかったという。5万6千人ほどの人口を抱えるロトルアは、ニュージーランドの規模からすると、けっして小さくはないけれど、日本からすれば、やはり田舎である。田舎ではあるけれども、一通りそろっている町でもある。町なのに、フィールドが近い。それがロトルアだけではなく、ニュージーランド全体の町の魅力だ。
 アレックスの長女はタラナキに住んでいるが、ハミルトンのような町の生活とまるで違う田舎のワイルドな生活があると言っていた。
 ハミルトンやロトルアは、ニュージーランドからすると、充分に都会なのだ。繰り返しになるけれど、そうした都会でもフィールドが本当に近い。
 釣り遊びもそれなりにお金はかかる。それでも、アレックスのゴルフの前の遊びは、釣りが主だったという。つまり、釣りは安いということだ。
 遊ぶのにお金をかければいいってもんじゃない。
 ニュージーランドでは、お金をかけなくても充分に遊べる自然がたくさん残っているし、たとえ自然破壊が進んだにしても、それを改善しようとする政策がある。つまり、政治がその機能を果たしているという点で、きわめて健全だ。今回私が実感できたように、釣りをゲームフィッシングとして政策的にしっかり位置づけているというのが、そもそも大人ではないか。
 これからすると、日本の状態、とりわけ、その政治不在・政策不在は嘆かわしいばかりである。

*1:あとニュージーランドのテレビ番組や、BBCディスカバリーチャンネルなどの番組も手伝っているかもしれない。ニュージーランドのテレビ番組は、私の観察では、はっきり言って、日本などよりも真面目な分だけ、レベルは高いと私は思っている。それでも、情報収集方法としてテレビ番組が主流になることはまずない。実際の体験や見聞、そして友人・知人との交流から得た知恵が圧倒的に多いだろう。