文化衝突後に引き続く「同化」政策を乗り越えて、自立・多様性・共生の時代をめざす

 西洋文明との接触は、オランダ、そしてフランスとイギリスとの競争など、ヨーロッパ諸国間の矛盾はありながらも、結局は英米のもつ圧倒的経済力と軍事力、そしてキリスト教という神学上のイデオロギーと、司法・行政・立法上の社会制度の導入、そしてそれらを土台から支える教育制度と、英語の公用語*1の問題が、世界のいたるところで観察しうる。逆説的にいえば、そうした侵略やパワーゲームが存在しなければ、これほど広範囲に英語が通じるようにはならなかったはずだ。
 そして、今日、そうした歴史的経緯から教訓を学び、侵略行為の後遺症や歴史的困難性を乗り越えて、我々がめざすべき道は、おそらく多言語主義・多文化主義であるに違いない。互いの異文化を尊重しながら、互いに学び理解しあうことの方が、少なくとも、一つの言語や一つの文化を世界にあまねく押しつけるよりは余程まともだと思うからである。
 日本が、あの鹿鳴館時代を経たのと同様に、文化衝突の時期は、まさにパワーゲームが進行し、出かけて行った側と出かけて来られた側、「発見」した側と「発見」された側、特定の文化を押しつけた側と押しつけられた側という一方的な関係になることが少なくなかった。
 鹿鳴館時代のおかしなファッションを、おかしな西洋化と、誰が笑うことができようか。植民地化*2というものは、おしなべて、そうしたものなのだ。
 合州国の黒人(Afro-Americans)も、奴隷としてアフリカから連れて来られる過程で、文化的な弾圧を受けたことから、自らの縮れ毛を恥じ、白人文化を真似て、直毛にしようとしたことも類似の典型的現象であるが、物真似・猿真似をやめて、自らの文化に誇りを持とうと自覚したブラックパワーは、いわば「被支配」「同化」ではなく、「自主・独立」や「自立」「多様性」「共生」の時代への転換をめざしたものでもあった*3
 レッドパワーとしてのネイティブアメリカンの運動も、まさにそうした流れの一環であり、支配者・イングランドに対する民族(nation)としてのウェールズスコットランドの反発と抵抗、そして、もしそれがアイルランドなら、アイルランド語や、アイリッシュミュージックや、アイリッシュダンスに、アイリッシュとしての誇りを取り戻した文化運動の過程が、それに該当するのだろう*4。そしてそれがマオリの場合なら、マオリルネッサンス運動が、まさにその流れを汲んでいると言えるに違いない。
 1993年を「世界の先住民の国際年」とし、1995年から2004年までの10年間を「先住民の国際十年」と指定したのも、そうした世界の大きな流れからのことであり、1982年に、「国連人権委員会の下部機関である人権小委員会」が、「先住民の権利に関する国際基準を作成するための「先住民作業部会」の設置を決定」し、「先住民作業部会は、世界各地の先住民が毎年参集して自らの共通の立場を集約する貴重なフォーラムを提供してきた」*5というのも、こうした動きの連帯と高まりを示している。
 いわゆる英米の時代に終止符を打ち、先住民の権利主張を認めるように見直しをはかるという作業は、とりわけ文明が自然とのバランスを失ったという点で、先住民の知恵から学び、産業革命から始まった科学・技術革命の行き過ぎをも見直していこうという環境保護運動の動きとも連動しているような気がしてならない。
 グローバリズム*6を、手放しで単純に喜ぶことができないのは、「英語による言語の一元化が今日の「グローバル化」現象を産み出した」(中村敬)のであり、一つの民族語を世界の共通語にしようとすること自体、さまざまな歪みを引き起こさざるをえないからである。
 非常に興味深いのは、英語の一元化を果したイングランドが、その昔は、自らの言語文化に誇りをもてず*7、自らを「田舎モノ」とみなしていたことだ。古くは、ギリシャやローマの文化、そしてイタリアやフランスというヨーロッパから見たら、イングランドは田舎であり、辺境であった*8。だから歴史的にみれば、あのイングランドだって、劣等感から無縁ではなかったのだ。だから問題は、不平等を生み出す支配・被支配関係に別れを告げて、劣等感や優越感からも自由になり、対等・平等の共生関係をどうやって実際につくっていくのかが、これからの最重要課題であることは間違いない。
 多言語主義や多文化主義をめざすには、タンガタ・パシフィカやアジア・ダウンアンダーのような番組を手始めに、まず他文化・異文化そのものを知り、理解に努めることが必要だ。
 大変残念なことにと私はあえて書くが、日本には、こうした一般的な番組*9すら存在していない。

*1:英語問題の分析に関しては、中村敬氏の著作に学ぶところが多い。氏の最近の労作「なぜ、「英語」が問題なのか?―英語の政治・社会論」を参照のこと。

*2:日本は歴史的に植民地化されたことが一度もないという言い方がされ、もちろん、それはそれで理解できるが、戦後政治史において、内なる意識の点で、「植民地化」がすすんでいるような気がしてならない。また、それとは異なるが、少数民族問題としてのアイヌ在日朝鮮人などの問題を無視することはできず、民族と民族との、支配・被支配という点では、日本から植民地化の問題を全くはずすことは適切ではないように思う。

*3:マーチン=ルーサー=キング=ジュニアが選択した非暴力は、まさに「自立」と「共生」をめざしたものだったが、過酷な黒人差別に対してブラックパワーがめざしたものは、「共生」よりも「独立」の要素の方が強かったと言えるのかもしれない。マルコムXとキングの違いがそこにあると言えるのかもしれない。

*4:イングランドの言語・イングランド語が、ウェールズ語スコットランドゲーリック語、そしてアイルランド語などのケルト語を駆逐したのであって、同化を一層促進させようとして、イングランドは「併合法」を、ウエールズには1536年に、スコットランドには1707年に、アイルランドには1801年に、それぞれ結ばせた。こうした「英語の国内進出」「英語の海外進出」については、中村敬氏の「英語はどんな言語か―英語の社会的特性 (英語教育叢書)」に詳しい。

*5:ニュージーランド先住民マオリの人権と文化 (世界人権問題叢書)明石書店p.109〜p.110

*6:中村敬氏は、最近の氏の著作「なぜ、「英語」が問題なのか?―英語の政治・社会論」において、「植民地時代の終焉と共に、そして多文化主義・多言語主義の台頭と共に、西欧の他者観の象徴とも言うべき「文明化の使命論」は、自由・人権・民主を標榜する西欧民主主義にとっては明らかに不都合であると共に自己矛盾を孕むものとなった」と、英語が支えるグローバリズムの暗部について述べている。

*7:中村敬氏の「なぜ、「英語」が問題なのか?―英語の政治・社会論」によれば、R.F.ジョーンズの言葉を直接引用しながら、「イングランド人が自国語に自信を持つようになる言語観上の転換点」(R.F.ジョーンズ)は1575〜1580年であるとしている。

*8:中村敬氏によれば、「イングランド人が、ヨーロッパの文化にいかにあこがれていたか(裏を返せばいかに劣等感を抱いていたか)は、例のシェイクスピア作『ヴェニスの商人』の次の一節に見事に描かれている。ポーシャがネリッサを相手に次々と現れる求婚者をこきおろす場面である」として、ポーシャのセリフを引用している。(「英語はどんな言語か―英語の社会的特性 (英語教育叢書)」p.32〜p.33。)さらに続けて、氏は「16世紀はイングランド人が自らの母語に最も自信が持てなかった時期であるが、それとちょうど同じ時期に、英国内のケルト民族に対しては圧倒的な優越感をもって対していたことは、単なる歴史上のエピソードとしては見逃せない重要な問題を含んでいる」として、「精神分析的には、ヨーロッパの高い文化へのあこがれと劣等感の裏返しが、ケルト民族への優越感や差別感となって表れたと見ることができるように思う」と書いている。

*9:前にも書いたが、タンガタ・パシフィカやアジア・ダウンアンダーは、真面目な番組ではあるけれど、大衆的なお茶の間番組であり、教養番組とは言い難い。けれども、多文化主義的な観点からして、多くのものを学ぶことのできる番組である。