生でマッスル貝を食べた貴重なアオテアロア的体験

あわびとアワビのクリームソース和え

 ナルワヒアに住んでいるタミハナとニコルは、たまたま私がマオリ土地戦争のフィールドワークで、ナルワヒア(Ngāruawāhia)を訪問している最中に偶然に出会い、その場で彼らの家にお茶に招待されて、知りあったマオリのご夫婦である。
 その後、12月にもナルワヒアのタミハナの家に遊びに行って、タミハナからマッスル貝の生の食べ方を教わり、大袈裟に言うと、これが生涯忘れられない体験となった。
 ニュージーランドではマッスルは、牡蠣なんかと比べてみても安価で、きわめて大衆的な食べ物だ。
 酢でしめたマリネのマッスルは、ごく普通に、スーパーなどで売っている。それで、こうしたマッスルなら白人のキーウィも食べる。
 鉄鍋いっぱいに入ったマッスル蒸しをパブで味わうこともできるし、私がお世話になっているホームステイのジュディは、マッスルなら、断然こうした白ワイン蒸しに決まりとまで言っている。こうしたマッスルも悪くはない。
 ところが、マッスル貝を生で食べると、赤貝と味は違うのだけれど、赤貝を食べているときのような、魚介類の香りが鼻に強く残るのだ。そして磯の香りも味わえる。
 調味料を何も加えない生の、まさにそのままのマッスルは絶品だ。
 新鮮なマッスルは、生で食べるに限る。タミハナに生で食べる食べ方を教えられて、そう私は確信した。
 マッスルを生で食べたあと、新鮮なマッスルを刻んで、天ぷらのように揚げるフリッターという奴も、バリエーションとして、タミハナが私のために作ってくれたのだが、生のマッスルの味に敵う相手ではなかった。
 ところで、タミハナのマッスル貝の開け方は、昨日紹介したジュピターの開け方とは、ちょっと違う。
 タミハナのマッスル貝の開け方は、やはり同じくナイフを使うのだが、マッスル貝を半分に割らず、それぞれ両側の貝殻の底から身を剥すようなやり方で、結構むずかしい開け方だった。
 貝の開け方は、どっちでもいい。
 重要なことは、新鮮なマッスル貝を手に入れて、調味料も何もつけずに生でそのまま食べるということだ。
 あえて象徴的に言えば、これはニュージーランド的な食べ方ではなくて、マオリによるアオテアロア的な食べ方と言えるだろう。
 つまり、生のマッスルを食べるという食文化は、イギリス系食文化ではなくて、マオリ系食文化の、コア(中心的)な部分だと思うのだ。
 魚介類を生で食べるという文化は、一般的な白人にはついてこれないほど、食文化的に深いと私は思う。
 マッスル貝は、冷蔵庫に入れれば数日持つが、大事なことはマッスル貝を乾燥させて干上がらせないということだ。