日本は中途半端になっていないか

 マオリの教員室で私は大いに語り合ったのだが、マオリ社会は従来の価値観を大事にしていたけれど、都市化(urbanization)によって、家族や共同体がバラバラにされてしまった。言語や土地そして、共同体をいま取り戻している渦中にあるという認識を多くの教員たちが示していた。
 徳川300年は鎖国をして、西洋文化と隔絶させていたが、明治維新以来、日本は西洋化を続け、おまけに軍事化も促進し、いわばイギリスの物真似をして、アジアを侵略した。そして、1945年に敗戦を迎えたが、その後、政権を取っている政党は歴史的教訓を全く学んでいないように私には思えるし、能天気なことに日本国民がそうした政権を支持し続けているという話を私はせざるをえなかった。
 日本は、表面的には、猿真似(copy cat)として、西洋化、産業化、ハイテク化を果たし、とくに1945年以降は、アメリカ文化の影響が異常に強く、アメリカ文化感染(American contamination)に犯されていると言ってもよい。そのアメリカ合州国とも闘い、日本は、今や世界一の車を作るに至ったと言ってもよいかもしれないが、残念ながら、生活を楽しむには至っていないという話をした。車ですら、キーウィのように最後の最後まで使い尽くすということがない。
 この話を日本人にしても、いつも説得力を持たないのだが、ニュージーランドに住んでいる人間には、普通にわかるのが実は私には悲しい。