子どもを守るために、安全性を向上させる環境が整えられているのか

amamu2006-08-01

 昨日31日、埼玉県ふじみ野市の市営プールで、小学生2年生の女の子が流れるプールの吸水口に飲み込まれ、死亡するという痛ましい事故が起こった。
 今日のテレビ報道によれば、死因は水死ではなく脳幹損傷で即死だったという。
 市営プールで水遊びを楽しんでいた子どもの死亡事故という悲惨な事故は、高等学校に勤務する者として、何ともやりきれない。ご家族の方々の気持ちを察すれば、言うべき言葉がない。
 言うまでもなく学校や市営プールという場所は、子どもの安全が一番考えられないといけない場所である。
 報道によれば、吸水口の二つの柵*1のうち、ひとつの柵がはずれていたというのだが、その柵は針金でとめられていたという。
 柵がはずれていたことが発見されてから10分後に事故が起こったというのだが、その間に、柵が取れているので気をつけるようにとの口頭での指示はあったようだが、水の中にいた子どもたちや大人たちにプールから出るようにという指示はされなかったというし、ポンプも止められなかったという。また監視員が水の中に入って、吸水口を身体でふさぐようなこともしかかったようだ。さらに柵がはずれた場合の対応など、マニュアルが完備されていなかったということも報道されている。こうしたことが事実だとすれば、今回の事故は人災と言わなければならない可能性が出てくる。
 事故で考えないといけないことは、常に最悪のことを考えることであり、事故を回避する手立てをせずに放置すれば、事故は必ず起こるということを前提にして考えなければならないということである。事故は起こるのである。だからこそ、事故が起こる可能性を限りなく少なくすること、すなわち、安全性の向上を徹底して考えるということが重要になってくる。
 そうしたことを大前提として、さらに強調したいことは、子どもが生活する場では、徹底してその安全性を向上させなければならないということである。環境そのものの安全性を向上させるということは言うまでもないが、現場の指導員に対する安全性向上のための研修強化も当然のことである。
 そして、こうしたことを実行するには、お金もかかる*2
 テレビの報道によると、現場にはアルバイトの高校生が多かったというが、こうした指導員は、アルバイトとで対応するとかではなく、可能な限り、正規雇用の専任による専門家集団でなければならない。
 ここで強調したいことは、子どもたちを守る現場の大人が危険性を訴えても、なかなか予算化されないということがあるということだ。悲しいかな、安全性の具体的なカタチは、経済的妥協の産物なのである。
 が、こうしたお金をケチってはいけない。なぜならば、それでは、安全性低下を招き、子どもが守れないからだ。

*1:二つの柵で排水口全体を防御するかたちになっている。

*2:8月3日に書いたが、今回の事故の最大の教訓は、排水口と吸水口のそれぞれに対する二重の金属格子による柵である。こうした対策であれば、それほどお金がかからない。