「学校で母語禁じ「忠誠」丸暗記」

amamu2006-10-23

 梶山季之氏の「族譜」を原作としてジェームズ三木氏が舞台化した劇団青年劇場による「族譜」の舞台公演が近づいている。
 そのことに触れながら、今日の朝日新聞の「歴史と向き合う」という欄で「朝鮮人に強いた報国」という題名で記事が掲載されている。その中に次のようある。
 「熊本市在住の歴史学者、朴宗根(77)は37年、晋州に近い慶尚南道・馬山校外の鎮田公立普通学校に入学した。
 学校での朝鮮語使用が許されたのは1年生の1学期までで、2学期からは禁じられた。休み時間に思わず朝鮮語を口にすると、互いに教師に言いつけた。朝鮮人の教師が長い竹のむちで足を打った。「皇国臣民の誓詞」を暗記し、朝礼のときに唱和した。教室には「ご真影」(天皇の写真)が掲げられ、東方(宮城)遥拝をした」。
 かなり前の話になるが、1992年にアメリカ合州国西部を自動車でまわった際に、サンタフェで、私はネイティブアメリカンの学校のひとつ、サンタフェ学校がどのような歴史をたどったのか学んだことがあった。「同化」と称して、ネイティブアメリカンの子供たちを集めて、白人化させる教化教育をおこなった。白人の教師たちも自分たちの正当性について疑うこともなかった。ネイティブアメリカンの暦、食事や文化を根こそぎ奪って英語を押しつけた。ネイティブアメリカンの子供たちは丘に集まって、自分たちのコトバを話したという。学校で自分たちのコトバを話すと弾圧されたからだ。
 これまで幾度となく紹介してきたように、8ヶ月ほど滞在したアオテアロアニュージーランドでも、同様であった。
 これまでに訪れたことのあるアイルランド、ハワイでも同様だった。
 イギリス語とはそうした経過の中で世界中に広まってきたのである。
 日本語もそうしたイギリス語の侵略性を真似てきたと言わざるをえないところがある。
 基本的人権の中で言語権は案外忘れられがちだが、母語を話す権利というのは基本的人権の中でも中心を占めるものだと私は考えている。