木下恵介監督の名作「二十四の瞳」(1954年)を観た

二十四の瞳

 子供の頃に、木下恵介監督の「二十四の瞳」を確実に観ていると思うのだが、部分部分の記憶しかなくて、はっきりと覚えていない。
 それでも、ゆりの花のお弁当箱のエピソードだとか、貧しくて修学旅行に行けない話だとか、教師の描き方でいえば、反戦思想や綴り方の話は断片的には記憶がある。
 それで、今回久しぶりに壺井栄原作の「二十四の瞳 デジタルリマスター2007 [DVD]」を観たのだが、これが素晴らしい映画であった。
 一番びっくりしたのは、子役の使い方である。子どもたちの成長に合わせて、配役を決めた*1ようだが、そうした演出が素晴らしい。まるで、20年くらいのスパンで映画を撮っているような気分にさせられるほどだ。
 題名が「二十四の瞳」というくらいだから、これは子どもたちが主人公の映画という側面がある。その一人ひとりの子供が持っている夢や希望が、日本の戦前史を背景に、つぶされていく様子が丹念に描かれながら、映画は進行していく。
 また、20代から50代までを演じる高峰秀子が素晴らしい。
 最初登場した場面では、洋服を着て、自転車にさっそうと乗る新任の若い女教師を演じているのだが、戦争に突入していく時代背景にあっては、素直に綴り方「草の実」や警察からアカと呼ばれた片岡先生を擁護する。
 ところが、軍国主義的風潮が強まる中で、兵隊さんよりは普通の仕事をする人がいいだの、さらに自分の子供をもつような年代になると、靖国の母なんかになりたくはない、ただの人間、普通の人間がいい、いくじなしでいいと自分の子どもに対して直言する。戦争に対しては、厭戦反戦の思想を明確に持っている大石先生は、ようやく終戦を迎えて、「死んだ人が可哀想」と泣くのである。
 映画の舞台である小豆島は、ニュージーランドのコロマンデル半島を思い起こさせてくれた。小学校がある場所と、大石先生の自宅との空間の認識、距離感がいいのだ。その距離感を自転車で結ぶというのもいい。
 木下恵介監督が撮った1954年の映画「二十四の瞳 デジタルリマスター2007 [DVD]」は、日本が生んだまさに古典ともいうべき名作である。一人ひとりの子どもたちとその子どもたちと格闘する一人の女教師の生き方を描きながら、時代を映し出している映画力は素晴らしい。

 山田洋次映画監督が次のように述べているが、全く同感である。
 

「いたわり合い、助け合って生きていこうという木下映画の考え方を、今こそ我々はもっと大事にしなくてはならないと思います。木下さんの映画をみんなが涙を流して見るような世の中であってほしいと、心から願います」(山田洋次

*1:これら子役は、兄弟・姉妹を中心に配置して、子供たちの成長ぶりに一貫性をもたせたということだ。