「ムサシ ロンドン・NYバージョン」を観てきた

ムサシ ロンドン・NYバージョン

 井上ひさし作・蜷川幸雄演出の「ムサシ ロンドン・NYバージョン」を観てきた。
 「ムサシ」は今回2回目の観劇だから、細部は別にしてあら筋はわかっていた。竹林などの舞台芸術や音楽に至るまで、「ムサシ」という作品の素晴らしさはわかっていたから、今回の観劇を私は大変楽しみにしていた。
 少し前の朝日新聞に、大竹しのぶさんがニューヨーク公演を観劇したコラムが載っていた。
 「ロンドン・NYバージョン」だから、ニューヨークのアメリカ人やロンドンのイギリス人がどのように今回の舞台を観たのかという視点にも興味がある。
 そうした私の興味は、たとえば舞台が始まる前の幕の上に「ムサシ」「Musashi」と映し出されていたが、日本語を知っている外国人以外には「ムサシ」というカタカナはアートとしてしか映らないだろうなんて考える。そんないわば二重の視点で観劇することになる。

 それにしても、井上ひさしさんの台本はすばらしいと、あらためて感じた。
 報復の連鎖を断ち切るというのは、まさに日本だけでなく、世界が抱えているテーマに他ならない。この課題は、世界の課題として優先順位が非常に高いものだ。
 そういう意味で、わたしは、9・11以後の暴力が暴力を生むというColeman McCarthyのコラムを思い出した。
 もちろん日本の憲法九条については、言うまでもない。
 憲法九条でいえば、伊藤真さんの次のような叙述が脳裏をよぎった。

 (略)いわば積極的非暴力平和主義は<日本の英知>の結集であり、日本の独自性・個性の現れなのです。
 ところで、私は中高生の頃、愛国少年でした。日本の武士道に入れ込んで毎日弓を引いていました。そして、大和魂などを突き詰めて考えていったら、私の場合、九条に行き着きました。どういうことか。それは一言でいえば、どちらも力に頼らず、精神的な気高さで相手を圧倒する点では同じだからです。刀を持っているから強いのではなく、人格の高潔さで相手を説得し、手を出させない。私の思うそういう武士道の精神が九条にはあったのです。その意味で、日本人の精神を凝縮しているのが九条だと思います。
 私は保守か革新かと言われれば革新なのかもしれません。しかし、武士道や大和魂のような日本の文化・歴史を愛しています。それらは、必ずしも力ではなく、己を鍛え、決して刀は抜かないという点で高い精神性を感じることができるからです。それを国家に引きなおせば、問題を「力」で解決するのではなく、政治力、外交力、経済力、文化・芸術の力、志の高さ、国家の品格で解決することを目指すということになります。(「憲法は誰のもの? 自民党改憲案の検証」伊藤真


 このくだりはもちろん「ムサシ」のために書かれたものではないが、「ムサシ」のテーマと見事に重なり合う。私には、憲法九条は、平和を獲得するための方法論として、まさに日本ヴァージョンであるように思えてならない。
 この意味で、宮本武蔵藤原竜也)、佐々木小次郎溝端淳平)、柳生宗矩吉田鋼太郎)、沢庵(六平直政)の立ち位置が絶妙に面白い構成になっている。もちろん、柳生と沢庵の立ち位置である。それはもちろん、井上ひさしによって構成されたものだ。

 また、観劇中に木下惠介監督の「笛吹川」も脳裏をよぎったりもする。つまり、井上ひさしという作家は、いろいろなものを消化して、そのうえで劇をつくっていると言えるほど、「ふかいことをおもしろく」表現できる力量があるのである。それは、井上ひさしの努力に負っている。井上が部類の本好き・映画好きであることと、遅筆堂といわれるほど、自分の頭で考え、沈思黙考しているからなのだ。

 スラップスティック(ドタバタ)の面白さも満載の劇の底流に、きわめて重大な課題に対する、そして単純なメッセージが熱く語られる。これはお題目ではなく、表現としてたいへんな力をもっているところがすごいところだ。
 それは、言葉と演劇を信じる、言葉と演劇の力強さなのだろう。
 それは舞台の最後で、観客が泣きつつ笑い。笑いつつ泣ける心境になれることでも明らかだ。
 今回の舞台を見て、井上ひさしさんが舞台にこだわってきたことが、ようやくわかった気がした。
 舞台が終わった時の、今回の「ムサシ」に対しての割れんばかりの拍手。最後のスタンディングオベイションは、当然の観客の反応だった。
 あの瞬間にしか経験することができない「ユートピア」。全員がエネルギーをそそいで、みなが一生懸命でなければ作り上げることのできない「ユートピア」。けれども、せっかくつくりあげたと思えば、その一瞬ののちには、もう跡かたもない「ユートピア」。
 今回は、すごいものを観せてもらったという嬉しさで一杯である。

 今回の舞台がつくりあげた「ユートピア」、そして言葉、ロゴスの力。そのロジックは世界に通用するものだ。
 それでも、英語字幕ではわからない世界がある。
 井上ひさしが日本語の書き手であり、俺の母語が日本語であるという幸せも噛みしめることができた舞台でもあった。
 主演の藤原竜也、脇をかためる吉田鋼太郎白石加代子ら、俳優の方々の熱演は言うまでもない。
 本ブログの写真では、佐々木小次郎小栗旬、沢庵は辻萬長になっているが、これは初演時の配役。小次郎役は、小栗旬勝地涼、そして今回は溝端淳平。沢庵は六平直政である。