劇「みすてられた島」を見てきた

 「敗戦直後に作られた幻の”大島憲法”に想を得た近未来劇」というふれこみの「みすてられた島」を観てきた。
 ちらしの解説によれば、「大島憲法」とは、「1945年のポツダム宣言時、日本の施政権を本州、北海道、九州および四国に絞る方向が出されていた。翌1946年1月下旬、米軍から伊豆大島の元村村長に日本から切り離される旨が伝えられたため、村長を中心に島の独立が準備され、憲法草案が作られる。3月上旬には草案がほぼ出来上がっていたが、同22日、伊豆諸島を再び日本本土に復帰させる行政分離解除が発令され、かくして大島の独立および『大島憲法』は幻となった」とある。
 これまでわたしは「大島憲法」という存在を全く知らず、大変驚いたが、これを読んでいくつか考えた。
 ひとつは、アメリカ合州国マニフェストデスティニー(Manifest Destiny)である。
 アメリカ合州国は、イギリスから独立するまではイギリスの13の植民地であった。アメリカ独立宣言は、人間の権利をうたった、普遍的な価値をもった歴史的意義のある人権宣言であるが、その現実は、アフロアメリカンやネイティブアメリカン、そして女性の権利がきわめて不十分であるという矛盾を内包していた。資本主義の発展は領土の拡大をともない、西へ西へとフロンティアは拡張していった。そうした西部開拓を支えたイデオロギーマニフェストデスティニーである。私自身の経験では学校教育で強調された記憶は全くないのだが、アメリカ合州国の膨張政策は、カリフォルニアを超えてハワイやフィリピンも含めて考えるとわかりやすい。地理的にいって、その先にあるのが日本である。そう考えると、「翌1946年1月下旬、米軍から伊豆大島の元村村長に日本から切り離される旨が伝えられた」という先の「大島憲法」にかかわる記述が地政学的に気になってくる。沖縄のその後の運命と、大島を含む伊豆諸島とはどう違うのだろうか。太平洋上の、ハワイの西に位置する伊豆諸島という地政学的意味が重みを増してくる気がしてくるが、「大島憲法」について全く知らないので推測で軽々に発言するわけにもいかない。
 劇は「近未来劇」という想定なので、かならずしも「大島」や「沖縄」を直接扱っているわけではないが、もちろん「沖縄」は想定されているだろう。
 劇そのもので言うと、社会的・政治的な問題を扱いながら、その基本に人間の信頼の問題が横たわっており、笑いが少なくなかった点もよかった。
 ただ、作家・演出家と劇団のはじめての顔合わせであったり、初公演ということもあるのだろう。練れてない箇所がいくつか見られたのが残念である。藤木久美子さん、吉村直さん、大木章さんらの熱演が光っていた。