「立憲民主、フォロワー11万人 ツイッター4日目で自民を追い越す」

 立憲民主党ツイッターのフォロワーが11万人に達したという。
 以下、東京新聞(2017年10月5日 朝刊)より。

 立憲民主党の公式ツイッターのフォロワー(読者)数が五日未明、開設から四日目で十一万人を突破し、主要政党の中で最多だった自民党を追い越した。民進党から希望の党への合流劇の中で、リベラル勢力の受け皿として誕生した新党に対する関心の高さがうかがえる。 (清水俊介)

 各党は政策や演説の告知、記者会見の動画などを有権者に直接発信する手段として、公式ツイッターを活用。衆院選に候補者を擁立する主要政党は全て公式ツイッターを開設している。

 立憲民主も枝野幸男代表が結党を表明した二日の記者会見とほぼ同時に開設。枝野氏の演説の動画や、党の理念などを頻繁に投稿し、早くも五日午前零時半現在で、フォロワー数は約十一万二千七百人となり、同時刻の自民党を約二百人上回った。

 自民党の公式ツイッターによると、同党の登録は二〇〇九年七月。自民党が約八年で達した人数に、立憲民主が数日で追いついた。

 立憲民主に先立ち、九月二十五日に結党した希望の党も結党直後に公式ツイッターを設けたが、五日午前零時半現在、フォロワー数は三千人台にとどまっている。

 立憲民主党ツイッターのフォロワーが11万人に達した。
 そもそも、立憲主義憲法を抱くこの日本で、「立憲主義」がこれほど争点になること自体がおかしい。レトリックで言わせてもらうが、難事をいうのであれば、「立憲主義」がこれほど争点になること自体が、まさにこれこそが危機である。
 なぜ「立憲主義」がこれほどの争点になるかといえば、それは、憲法をないがしろにし、憲法を壊し、国政を私物化してきた安倍政権に対する国民の怒りである。
 小池百合子都知事の新党にも「希望」を託すことはできない。
 なぜなら、小池百合子都知事安倍晋三首相は、内容・手法のどれをみても、どれほど違うのか。唯一いわれている原発ゼロも、言及されたりされなかったりと、どれほど本気なのかあやしいと思う。はっきりしていることは、どうみても「立憲主義」・憲法を擁護する政治勢力とはいえないということだ。
 森友・加計疑惑を追求することすらない。これでは自民党の補完勢力と言われても仕方あるまい。
 いまの政治状況は、立憲主義大義を擁護する勢力の縮小、むしろ壊憲勢力ばかりに国民が包囲されてしまった悲劇である。立憲主義が破壊されれば、国民主権も、生きる権利も、ないがしろにされ、破壊されていく。こうして、国民にとって、未来のない、展望のない、国民が息絶え絶え窒息されそうな状況の下で、「立憲主義」を鮮明に打ち出した立憲民主党に国民が興味関心を示すのは当然のことだ。


 繰り返しになるが、そもそも立憲主義の立場に立つ覚悟のない候補者・政党ばかりの政治状況が問題なのではないか。


 だのに、いまの壊憲勢力は、「壊憲」を「踏み絵」にしている。そして、この国を戦争をできる国にすることを「踏み絵」にしている。ガバナンスのマネージメントとしては、民主主義を敵視し、民主的な議論なしの「独裁政治」を「踏み絵」にしている。
 国民の視点からすれば、これは真逆である。
 代議士をめざす全ての候補者が、国民主権、国民が平和に生きる権利の擁護、憲法を守らなくてはならない。その範囲の中での政策論争でなければならないのではないか。
 だとすれば、「立憲主義」こそを「踏み絵」にすべきだろう。
 あたらしい政党にすぎない立憲民主党ツイッターのフォロワーが自民党を追い越したというのは、そのあらわれのひとつのようにみえる。
 ここで強調されなければならないのは、憲法を尊重することが大前提であり、それは政党に対する固定的な評価ではないということだ。
 代議士をめざす全ての候補者が、「立憲主義」の立場に立ったうえで、憲法を擁護する立場で、政策論争をおこなうことを期待する。
 それが、代議士になろうとする候補者としてくぐらなければならない最低限の登竜門であろう。